シアトルのCOVID-19。わたしの記録。① ~不定期更新~

COVID-19 の勢いが止まらない。いや、実際のところ、ずいぶん前から世に潜んでいて、ここ3、4か月をかけて無症状宿主(しゅくしゅ)多数と共に世界中を旅して回っているんだろうけど。

ここアメリカでも日々感染者数が増加するにつれ、政府機関の危機感をひしひしと感じる。そしてアメリカ国内の1/3程度の州が発令した非常事態宣言以来、その得体のしれない恐怖心とか焦燥感は、市井のわたしたちをじわじわ浸食しているように見受けられる。

トイレットペーパーも一時、コストコで在庫切れになったし、スーパーに行ったらパスタの棚は空っぽだし、周りのショッピングカートは水やらシリアルやらのおこもりグッズで山積みだし。当初は人(まぁ、いうてもわたしですが)のマスクを鼻で嗤ってた周りだって、今では着用する人が増えている。不特定多数のお客を乗せる路線バスの運転手など、約5割の着用率だけど、これ、一般的なアメリカの感覚でいくと、驚異の高さです。中には、マスクだけでは事足りないと、運転席と料金箱を仕切るプラ板まで完全に閉めて防御バッチリな運ちゃんもいる。気持ちは分かる。

世界中に平等に猛威を振るっているCOVID‐19ではあるが、まだパンデミックと規定されるはるか前の1月中旬、感染の中心は中国湖北省にあった頃、シアトルの近郊エベレット市内で、アメリカ初のCOVID-19 の感染者(男性)が確認された。その後、彼の安否が報道に乗ることはまったくなかったが、その約2か月後、長期療養施設から複数の感染者が出たと騒ぎになった時、血の気が引いた。

ここ、うちの真裏の施設じゃん。

この施設に高齢者が多い事は知っていた。なんせ500m離れているかいないかの場所だし、犬の散歩コースで時々前を通っていた。うちの前の通りを走るときはサイレンを消しているが、日ごろから救急車両もよく見かける。

ここかぁ、近いなぁ、散歩コースもしばらくこっち側はナシだな、と考えていた翌々日辺りに、死者が出た。アメリカ初のCOVID-19犠牲者である。この患者が搬送された病院も我が家からほど近い。なんなら、毎日通勤で使うバス停の向かいである。

最初の死者を出したその日を境に、ワシントン州が発表する感染者は、次々と増えていった。長期療養施設に出動した救急隊員や病院スタッフの隔離も始まった。最初のころは感染状況や入院状況の追跡は、感染者や死亡者が増える頃には公表されなくなっていた。


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