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過ちと真実

過ちにも真実はある

映画「セイント」

ヴァル・キルマー主演の、僕の好きな映画です。
その劇中で出てきた言葉なのですが、キリスト教の聖人の言葉かもしれません。

「過(あやま)ち」は「まちがい」や「誤り」と似た意味合いを持っている気がします。
そんな中にも真実はあるよ、と言っているのでしょうか。
歴史の史実の話を聴くと、一時の失敗(没落のような決定的なもの)が、時を経て成功に、真逆の成果に繋がるケースはあるみたいです。
その反対もまたあり、一時の成功が破滅へ繋がる第一歩という話は少なくないです。
人生万事塞翁が馬、のようなものです。
正しいと考えられていたものが、時を経て正しくなかったことが分かる事もザラにあります。
理解したと思っていたのに、実は全く理解の領域に達していなかったという事も、自分では分からないかもしれませんがあるのでしょう。

人は誰でも過ちをおかしてしまう、そんな生き物なのかもしれません。
もっと言うと、過ちなのか、過ちではないのか、自分では判断できないケースも多い気がするのです。
犯罪とかの過ちはできる限り避けるべきですが、過ちというプロセスを経て、何かを得たり、世界を変えていったり、そんなことのできる生き物なのが人のようです。
真実についても、そんなのは概念的なものであって、僕ら人にとっては伺い知れないものかもしれません。
真実は100パーセント正しいことと解釈できますが、絶対なんて事はなかなかありませんものね。

世界は広く、真実は高くまた深いもののようです。

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