やる気に満ち溢れた新卒が入社8か月で適応障害になった話

ずっと、これを誰に話すか迷っていました。正直、今もまだ薬投与と通院の繰り返し。会社を12月から休職し、2月末まで休むこととなりました。

時々、自分の生きる価値がわからなくなったり自己嫌悪になったりを繰り返して生きる。

ただ、適応障害はこんな病気・誰にでもなりえることを知ってほしいのです。また、私のように辛いけど会社に行って心を壊してしまったあなたに読んで私だけじゃないんだと思ってもらえたら幸いです。

まず適応障害とは特定の原因(要因)があり心身的苦痛にさいなまれること。具体的には職場の人間関係が精神的苦痛となり、腹痛や頭痛・動悸などが体に出てくることです。

私のステータス:大学時留学経験有・一人旅に行ったり活発・ポジティブ

就職先はメーカーの営業職でした。具体的には法人のお客様相手に自社商材を売る仕事です。営業職を選んだのも大学生の時からの大人の理想像が「自立した女性になること」でした。私の家族は私が幼い時に離婚しており、母が女手一つ私と姉を何不自由無く育ててくれたからです。入社前から絶対に同期に負けたくない、一番になりたい、輝いたキャリアウーマンになるぞ!と意気込んでいました。

4月からの研修は、前のnoteの記事に書いたかもしれませんが、チームをまとめたり、常に全体を良い方向にいけるように考えたり、提出課題の期日を守ったり基本的なことはこなせていたかと思います。今思えば、その時はチームの役に立てて嬉しかったのと褒められることで自分の存在意義をえられていたのかもしません。

私が所属している会社は教育を熱心に行うため、本配属は10月。それまでは仮配属という形で営業の先輩について行ったり、100社ほどリストをもらいひたすら新規開拓を行うなどをしていました。その時は他の同期に負けたくなくて、暑い夏(去年の夏は30度越えだったかと思います)の中、自転車で1日10~15社回っていたかと思います。社内の中でも一番訪問件数が多いと社長に褒められたほどでした。働けば働くほど会社が好きになり、頑張りたい気持ちが次第に大きくなっていきました。それが後々仇となるとは思っていませんでした。

ついに10月。やっと自分のお客さんを持てることの喜び、ワクワク、少し緊張した気持ちでお客様の100社リストを直属の上司からもらいました。10月の人事異動というのは例年に比べて動きが激しく、私を可愛がってくれていた同じ部署の女の先輩は他の部署へ移ってしまいました。その先輩は気遣いができ、社内でも有名なトップセールスでした。私はその先輩のお客さんをそのまま引き継ぐことになり、一言で表せないほど多忙になりました。先輩も異動するなど思っていなかったらしく、大量の業務(ベテランでも裁くのが難しいほどの量だと後々他部署の上司から言われました)を残していきました。右も左もわからない私は、早く仕事を終わらせよう、頑張って評価してもらおう、そんな思いで毎日朝7時半出勤、夜9時退社、昼休みなし、呼吸をするなら仕事をしろって感じで働いていました。(笑) もちろん、昼ご飯なんて食べるわけもなくひたすら仕事をしていました。

営業の仕事をみなさんどのようにイメージするでしょうか。私の所属する会社は契約を取るだけが仕事じゃありません。お客様からの商品の問い合わせ、クレーム対応、契約書作成、見積書作成、決裁申請(この商品をこの値段で売っていいか社長や部長に打診するもの)、商品受注、自社商品を販売しない場合は他メーカーとのやりとり(在庫確認や納期確認等)etc....

うちの会社は営業アシスタントが存在しないため、中堅の営業マンでもヒーヒーいうほどの業務量でした。そんな私が突然その業務を任せられ、どうなるか。頭の中がパニック、納期まで何をすればいいかわからない、お客様から催促のメールや電話、上司から訪問件数のノルマの圧、部長からの契約件数のプレッシャー。毎日先が見えず、帰りは出来ない自分に嫌気がさし一目はばからず泣きながら駅まで帰っていたことを思い出します。多分この頃から私の心身は壊れていったのかと思います。その頃から土日が怖くなり、動悸が激しくなったり、涙が止まらなくなる症状が出るようになりました。一番やばかったなと思うのは、土日休みも朝6時に目がパッと覚めて仕事だと絶望して目が覚めていたことでしょうか。(笑)
私はこれは一人前になるための通過点でしかないと当時は考えていました。(もうこれくらいになったらアウトなのでみんななったら休んでね)

その症状がひどくなり、私は電車通勤だったんですが、会社に近づけば近づくほどいつ終わるかわからない闇の中を歩くように絶望に包まれていきました。また、駅から降りた後脚が全く程動かないのです。何度も家族に電話して行けないと泣いたことが懐かしいです。ただ、その頃の私は新卒の中でたくさんの業務を任せられたことが嬉しくて、辛くても会社に行かないといけない、会社に行かなかったら誰が仕事をやってくれるんだ、私が行かなくなったら私以外の社内の人(直属の上司や案件に関わってる人)やお客様(商品受注や納期のお遅れにつながる)と休めない体質になっていきました。動かない脚を無理やり動かして泣きながら会社に向かっていました。

ある時、自分のミスでお客様に大きなミスをしてしまったことがありました。そのミスを直属の上司に電話で連絡したところ、「はあ」と大きい溜息をつかれました。その後、「~した方がいいんじゃないの?」と素気ないアドバイスをもらい電話が切れました。私が悪い事は重々承知していましたが、ミスをした以上に上司を怒らせてはいけないと思うようになっていきました。この大きなため息をつかれるのは一回だけに留まらず、ミスをする度にその態度は繰り返し行われ、そのたびに私のせいで上司に迷惑をかけているし、私はダメな新人なんだと考えるようになりました。
その後、1人でお客様先に謝罪をしに行ったところ、「なんで一人で来たの?上司には言ったの?本当に〇〇社(私の所属のしている会社)には失望しました。普通、こんなの取引終了だよ。あのね、あなたには誠意が足りないし、若いからしょうがないとか思ってんじゃないよ」とお叱りの言葉をいただきました。ミスが発生したのは先輩からいただいた引継ぎのリストの確認が漏れていたことでした。今までニコニコと対応してくださっていたお客様が豹変する姿を私はその時目の当たりにしてしまいました。未だにお客様の顔、その時を忘れられません。
その後、上司一人でお客様先に行って謝罪していただき私はそのお客様から担当を外れることとなりました。

もっとあるんですが、これが10月に全部起こったのです。他の中堅社員から~さん(私)は新卒1年目でやることを1か月で終わらせたからすごいねと言われましたがあまり私の中で嬉しくも何もありませんでした。私からしたら生き残るために頑張った、というか頑張るしか選択肢がなかったからです。

11月からは忙しさもだいぶ落ち着き、仕事も同期よりかはこなしていたため、だんだんこなせるようになっていきました。ただ、11月になっても土日になると動悸が止まらなくなり、涙が止まらない、出社するとお腹を下す、眠れない等は直りませんでした。仕事中も突然悲しくなり、トイレで泣いたり、またミスをするんじゃないかという怖さ、お客様から信頼を失ってしまうんじゃないかという恐怖で一時過呼吸のようになったこともありました。

11月中旬、母の勧めで心療内科に行くことになりました。それまでの私は絶対に心の病気じゃないとムキになっており、心の病気になる人は心が弱いからだ、私は元からポジティブだしそんなはずはないと思っていました。心療内科に行くと

あなたは「抑うつ状態」です。

と診断されました。抑うつ状態というのは気持ちの上がり下がりが激しい状態で、ひどくなると鬱に発展してしまうようなものです。※鬱病とは違います。詳しくは調べていただけると幸いです。

病院に行った後、自分は病気だと思いたくはありませんでしたが、病名を言われて少し安心する自分もいました。

病院に行ってからの何週間かは仕事も落ち着いており、症状も少しずつよくなっていきました。


そして、12月。私の会社は3の倍数の月が忙しく、先輩からも忙しい月だよといわれていました。10月ほどの残業(出社7時半、退社9時)までとはいきませんが、毎日8時~8時半退社で働いていました。

12月のはじめ、お客様から短納期で商品注文の依頼を受けました。1週間後に納品をしてほしいからどうにかしてとのこと。商品を受注というのは簡単に聞こえますが、社内申請や契約書にお客様に捺印していただいたりとみなさんが想像するより商品を受注してからお客様のもとに商品がいくまでって工程がたくさんあるんです。メーカーに問い合わせて早く商品を届けてもらうように電話、エンジニアさんとの商品の初期設定のお願い、社内申請(申請もすぐ通るわけではなく2~3日かかる)等。結局、お客様に無事納期に間に合い納品ができたのですが、納品が確定するまでの数日は動悸が止まらず10月にお客様から信頼を失ったあの日を思いだすのです。(お叱りを受けた日)

本当に仕事をすることが怖くなっていきました。

ある金曜日、決定的な事が起きました。その日は1日頭が痛く、仕事は終わらないけど残業しても仕事は終わらない。新卒は私一人で残業。管理職の人たちはみな早く帰っていく。結局、9時まで残業していたのは私と他部署の方の合計3人。その時私はふと、こんなことが頭をよぎりました。こんなに体を壊してまで私って仕事したかったんだっけ、そういえば新卒で残業してるのって10月から考えても私だけじゃない?、他の新卒は定時過ぎたらすぐ帰ってるよね…?、頑張っても報われないの?、私の頑張りって意味ないの?、生きてる意味ってなんだっけ、私ってなんで生きてるの...?

その時、私の中の何かの線が切れたように感じました。

もう歩けない、何もしたくない、できない。仕事終わりに母に電話し会社近くまで車で迎えに来てもらいました。私は口から生まれてきたんじゃないかと言われるほどおしゃべりな性格なのですが、そんな私が何も話す気が起きない。母が声をかけてくれてるのはわかるけど、何言ってるのかわからない、遠くに感じました。そんなことよりもうどうでもいい、その時の私は虚無で心ここに在らずな状態でした。その日は化粧したまま、母と一言も話すことなく、死んだように寝てしまいました。


週明け、母は同じ心療内科に私を連れていきました。

その際告げられたのは「適応障害」

主治医には休まないと治りませんからといわれました。

頑張りたい自分と頑張れない自分が心の中で闘っていて、私が会社に行かなかったら誰が私の代わりをするの?また上司に迷惑をかけるの?またお客様に迷惑かけて、信頼を失うの?ってのが心の中をぐるぐるとしていました。

今は少しずつですが、体調もよくなってきました。正直、前の職場に戻れるかはわかりません。

この経験から私は学んだことがあります。これは母から言われたんですが、

「会社で代わりはたくさんいる、でもあなたの代わりはいない」

ということ。簡単なことなんですが、人は追い詰められていると考えられなくなります。まあ冷静に考えれば、総理大臣が何回変わっても日本はおかしくなってないし、AppleのスティーブジョブズがいなくなってもAppleは業績は上がってる。

もし、あなたの周りに休職した友達がいたら今まで通り接してほしいと思います。変に距離を置いたり、連絡を取らないようにされると逆に悲しくなると思います。あとは頑張れ、ってむやみに言わない事。

毎日生きることに一生懸命です。時には死にたくなることもあります。自分の生きてる価値も、自分の存在意義もわからなくなります。だから、今まで通り楽しい話、会話をしてほしいです。

これをみんな(友達)、友達以外の方に公開するか正直迷いました。結構誤解される病気だからです。甘えだから、心が弱いから等。自分がなってみてわかります。言葉では言えないほどつらいのです。頑張りたいのに頑張れない。休んでいるときは特にです。SNSでみんなが休日楽しそうに過ごしている、仕事仲間と飲んでいる、仕事のことを投稿しているのを見ると自分は社会不適合者なんじゃないかとか、なんで毎日会社に行けないんだろうか、自分は人生のレールから外れてしまったんじゃないかって自責の念に苛まれることが多いのです。(いつもではないけど)

会社に行ってることも、毎日学校に行っていることも当たり前じゃないのです。だから日々の当たり前に感謝して生きていきたいね。

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