「好き」に押しつぶされそうで息が苦しい、アロマンティックな私
※文中の話はすべて、私が私自身に対して感じていることであって、すべてのアロマンティックの方がこうだと言っているわけではないです。
世の中は驚くくらい「好き」が溢れかえってる。
歌、ドラマや映画、恋バナなどなど。
きっと世の中の殆どの人にとって「好き」という感情が当たり前だから。
喜怒哀楽と同じ、感情の一種。
だけど、わたしには「好き」がわからない。
家族や友人への「好き」という感情は持ち合わせている。
だけど、恋愛的な「好き」がまったくもってわからない。
恋愛的な好意を向けられて、嫌悪感は感じない。
でも、わたしから相手への好意、「好き」は生まれない。
人間として認められた、求められたところに喜びを感じるだけ。
たぶん、性欲は、あるんだと思う。
わたしはストレートだけど、異性を見てエロいなーって他者の性的な魅力を感じることはある。
だけど、それだけ。
そこから付き合いたいなーとか、好きだなーっていう感情がわかない。
流石に焦る。
世の中の常識的に、恋人がいて、結婚して、子供が生まれてーっていう流れがスタンダードとされている中で、(恋愛がこの流れの基礎にある前提で)わたしはそのスタートラインにすら立てない。
恋愛に対して嫌悪感があるわけじゃない。
むしろ普通に普通の人生を歩みたい。
それなのに。
わたしには恋愛的な「好き」という感情を生み出したり感じたりする部分が欠落してしまっている。
まわりは
「まだぴったりくる人に出会えてないだけだよ」
「もっといろんな人と会ってみたら?」
「自分から行動しなきゃ!」
とかとか。
「好き」が搭載されてる前提で励ましてくれる。
第三者目線で見たら本当にその通りだと思う。
ありがと。ごめんね。
たまに、自分に「好き」が搭載されてるけど自分が幼稚だからその感情がわかないんじゃないかとか思ってみたりして、死にたくなる。
わたしは一生、「好き」を知ってる人たちと同じレベルで生きれないんだろうなという劣等感が常に心のどこかにある。
世の中にあふれる記号や言葉の「好き」の意味を考えようとしたときに、わたしの知っている「好き」と、そこに「好き」を記した人が表そうとした感情の深さの違いを想像して目眩がする。
世の中は「好き」で溢れかえっている。
わたしの知ることができない感情で。
吐きそう。
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