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「人生100年時代」という悪夢

ここ4,5年の話だろうか。巷で「人生100年時代」という言葉をよく聞くようになった。
今では、日常の会話のみならず、生命保険会社までもがCMでそのフレーズを利用している。

確かに、人生が、純粋に生きる時間が伸びて寿命が100年になるとしたら、それは言祝ぐことだろう。
しかし、どうだろうか。
ただ苦痛であるだけの人生が、そこに20年も加算されるとしたら生きてる方はたまったものではない。

誰もが、生を謳歌しているわけではない。
しかし「人生100年時代」というフレーズにはある種の強制力を感じずにはいられない
人生は、無謬に、楽しく喜ばしいものであり、誰もが100歳まで生きたいということを当然のことのようにしている

しかし、この世界、いや日本には、明日食う飯にさえ困っている人がいる。
日々の仕事探しで心と身体をすり減らしている人がいる。
そのような人たちに「人生100年時代」という言葉は、どのような響きを持って届くのだろうか

それは、単なる「悪夢の延長」ではないか。
綺麗事は言わない。
誰もが皆100歳まで生きることを望んでいるかというと、そんなことはない。
もし、そう考えているのなら、それは一方的な押し付けだ。

さらに悪いことに「人生100年時代」は生命保険会社や、無意味な投資を煽る銀行などが目をつけ、都合の良いキャッチフレーズとなった。

あなたもこの「人生100年時代」に備えて、当社の生命保険に入りませんか?
あなたもこの「人生100年時代」には老後のお金の不安がありませんか?

「人生100年時代」はことさらに、わたしたち現代人の心に突き刺さる。
それはわたしたち現代人が、純粋に生きることに喜びを見出しにくくなった証左ではないか。