本が私に読ませてくる感覚
学生のころ、よく訪れる大好きな本屋さんがあった。
小さくてせまいお店だったが、そこに行くと必ず私は何冊か本を買ってしまうのだ。本の数が桁違いに多いであろう大きな本屋さんではぐるっと見て回っても結局何も買わずに出ていくこの私が。
その本屋さんではそこの書店員さんチョイスの本の紹介文がそこかしこに貼られていたり、その本屋さん独自の特設コーナーがあったり(湖沿いのお店だったのでそこにちなんで鉄道沿線事件ものを集めたマニアックなものなど)と、なんというか温かみと手作り感が満載だった。そのひとつひとつを眺めているだけで、全然興味のなかった知らない本も、話題の本でもなんでもない本も、おもしろそうに見えてくる。
きっと、本への愛がたくさん溢れている空間だったからこそ、私はその本屋さんが大好きで、気づくと本を手に取ってしまっていたんだと思う。
三宅香帆さんの「人生を狂わす名著50」を読んでいる間ずっと、私はこの大好きな本屋さんに入ったときのわくわくした気持ちを思い出していた。
あとがきに本への愛が重すぎるとあったが、いやほんとに重い。紹介されている50冊の他に次におすすめする本も紹介されているのだが、140文字もないのにそのひとつひとつにも愛の重さを感じられて最高。(この部分、「ちょっとめちゃめちゃおもしろそうなんですけど?!もっと詳細をくれ?!」って途中からブチギレながら読んでいた。続編をください。)
ときに軽快に、ときに冷静に、ときに物語調に、ときに手紙風に、その本を通して見えてくるものをわかりやすくかついい塩梅にちらりと覗かせてくれるので、「気になる!!」という気持ちを刺激される。だって知的好奇心のある人だったら、その世界を知りたいって絶対思っちゃうでしょ。この本を読んでいると「見たことのない景色、見せてやるよ」ってずっと耳に囁かれているような気持ちになる。
また、紹介された中には私も読んだことのある本が何冊かあったが、「めっっっっっっちゃわかる!!!そうなの!!ありがとう!!(?)」といいね100万回押したくなるものがあったり、この本からそんな風なことを思ったんだと新しい発見もあったりして、もう一度読み直したくなった。
読みたい本なんてないなって思っていたけど、「私が」「本を」読みたいと思うんじゃなくて、「本が」「私に」読ませてくるんだなと思った。知らないうちに自分が必要としているものと出会わせてくれるんだなと。私にとってはその入り口があの大好きな本屋さんや三宅さんの本であるのかもしれない。
あ〜私の人生もきっとここから狂っちゃう。そんな予感がしている。でもなんだかわくわくしている。とにかく早く本屋さんへ、図書館へ行きたい。
改めて、三宅香帆さんへ。
本とともに生きてきた、感じてきたあなたの世界を
教えてくれてありがとうございます。
私も人生が楽しくなりそうです。
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