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2947本の関数で表す「走」・「攻」・「守」 / 好きを貫く

はじめに

ふと昔の写真を見返していたら、中学生の時に書いた作文が出てきた。

読み返してみたら今の自分が失っていた感覚を少し思い出すことができたので、その作文をここにそのまま書いてみる。

この作文は数年前まで中学のホームページに掲載されていた作文である。
僕が中学3年生の時に書いたもの。大学院1年生になって、8年前の自分に元気付けられた。笑

背景情報

この作文を書いたときの背景を少しだけ整理しておく

・慶應義塾普通部3年生

・「労作展」という夏休みの自由研究のような伝統的なイベントがあり、生徒たちは夏休みをかけて何か一つ、苦労して作り上げる「労作」を完成させ、秋の労作展で展示する

・良い「労作」には賞が贈られ、さらに優れた「労作」は特別展示に選ばれる。

・僕は1, 2年生の労作展では中途半端になってしまった。

・3年生で作った作品は2947本の関数で自分が野球している絵を描くというもの。

自己紹介

データサイエンティストを目指して日々勉強している、慶應義塾大学大学院理工学研究科修士1年生(2024.05.26時点)

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作文

「労作展」と聞いて、皆はそれぞれ違うことを思うだろう。「大変だったな」とか、「楽しかったな」とか。しかし、「なんか、中途半端だったな」とか、「もう同じ失敗は繰り返さない」と思う人もいるかもしれない。僕は、去年、そう思った。去年は計画の見通しが甘く、努力も足りず、散々なものになってしまった。だからこそ、僕は「今年こそは最後まで何があってもやりとげる」という堅い意志を持って労作展にいどんだ。

四月。一学期が始まってすぐに労作展計画表が配られた。僕は「人生最後の労作展」をどうするか、全くいいアイデアが浮かばず、ずっと考えていた。一、二年生のときのものは大変ではあったが、完全燃焼とはいかず、中途半端なものだった。僕は「あんなことは二度としたくない」と思っていた。そこで「とにかく努力すること」を決めた。次に、具体的にどうするか、僕は悩んだ。

小さい頃から僕はずっと「好き」なことは一生懸命にやることができた。楽しくて、気持ちがいいから。僕は数学が好きだ。やればやる程、力が付くし、自分の知らなかったことをどんどん知ることができる。僕は数学の面白さに引き込まれていた。僕は小学二年生から七年間、ある計算塾に通っていた。僕はひたすら計算し、こなしたプリントの量は僕の身長と同じ量にもなっていた。それを目に見える形で表したとき、僕は感動し、最高に気持ちよかった。

僕はその感覚を思い出した。そこからは早かった。パッと、「数学で絵を描く。」という考えが頭の中で光った。絵は僕は野球部だから、野球を大きく三つの要素に分けた、走・攻・守で三枚描くことにした。

もちろん、最初はどうなることかと心配が尽きなかった。自分のカメラでタイマーをセットし、自宅の駐車場で写真を撮影した。なかなかタイミングが合わなかったり、写真がイマイチだったり。失敗を繰り返した。写真を撮った後は、A1サイズのものすごく大きな紙に生まれて初めて絵を描いた。ひどかった。手足は短く、赤ちゃんみたいで、関節は所々おかしな方向を向いていたり。僕の心は折れかけた。しかし、僕は「最後まで努力する」と決めていた。歯を食いしばり、汗水たらして何度も、何度も、何度も、満足するまで絵を描き直した。気が付けば新品だった消しゴムは親指の爪程の大きさにまで小さくなり、僕は消しカスまみれになっていた。

やっと絵を描き終えた僕は「やっと数学に入れる」と思い、気持ちが楽になった。しかし、大変なのはここからだった。式を求めるには座標が必要で、座標を読み取るにはx軸とy軸、そして目盛りが必要である。そこで、一cmごとに紙全体に目盛りを打つことに決めた。A1の紙3枚に一cmごとに点を打つとどうなるか。想像できるだろう。二万四千個もの点を僕は打った。僕は三日間、ひたすらに点を打った。これが労作展でももっとも辛かった。手は関節の部分が痛くなり、ストレスはたまり、大変だった。まさに最も労作を作っている瞬間だった。

八月下旬、僕は焦った。「これ、終わらせるの無理だろ・・・」と。改めて計画を立てたからだ。僕は旅行先にも計算ノートを持っていき、朝から晩まで本当に計算しかしなかった。遠出して帰りが深夜十二時を越えようと、家族が昼寝していようと、ずっと。勿論、大変で、時間はかかった。しかし、苦にはならなかった。何故なら数学が「好き」だったから。むしろ楽しかった。自分の力がどんどん高まるのが楽しかった。

そして遂に完成。全てが終わった時は何も言えず、絵と計算ノート十六冊を目の前で見た時は最高に気持ち良かった。

「やったー!」とか、「よし!終わった!」などの言葉は一切出ず、ただただ満足感と達成とうれしさ、疲れ、安心感に浸っていた。この作文の文字数よりもさらに多い数の計算式、二千九百四十七本を求めたのだ。夏休みで最高の時間だった。

そして労作展当日。僕は土曜の朝一番に自分の作品を見に行った。そこには「賞」の札と、その裏には赤いペンマークもあった。三年間で初めて貰った賞。さらに特別展示にも選ばれ、もう何も言えず、ものすごくうれしかった。

やっぱり自分が好きなことをやって報われるうれしさは気持ち良かった。

僕はこの最後の労作展で、考え、苦しみ、悩み、楽しんだ。このような記念になる「労作」を作れて、本当に良かったと思う。

振り返り

8年前の自分の作文。やや大袈裟だけど、当時の僕にとってはそれほど大変だったのだろう。この作文を今読んで、「今の自分はこの頃の自分より良くなったのだろうか?」と疑問になった。多くのことができるようになって、たくさんのことを学んだけれど、大事な核となる熱だったり、感覚だったりは当時の方があったかもしれない。

何がかは明確にわからないが、確実に何かを失っていた。この作文を読んで、ちょっと当時の感覚を思い出した。この感覚がここ最近はなかった。目の前のことを上手く効率的にこなすことに夢中になりすぎていた。もっと、純粋に楽しまなければ。資本主義の悪い部分に侵されていた。急がば回れ。コスパを重視していたら何かインパクトのあることはできない。この感覚を取り戻して、何か自分にしかできないことをしたい。ちょっと時間はかかるかもしれないが、もがき続けようと思った。労作展も1, 2年生は賞を取れなかったけど、3年生は賞も特別展示も獲れた。昔から僕は大器晩成型。まだ始まってない。

これからです。これからもっともっと大きくなる。作文では「人生最後の労作展」って言ってたけど、人生自体が労作展だっただからまだ労作展は途中。人生でも労作、努力を重ねる。そして必ずまた何か成し遂げる。また、毎日、本気で頑張る。

最後に

労作展についてもっと詳しく知りたい方

もしこの作文を読んで、労作展に興味が湧いた人がいれば嬉しいが、さらに詳しく知るには中学のHPが参考になる。

労作展は毎年開かれ、僕よりももっとすごい「労作」を作っている人がたくさんいる。僕よりもっとパワフルで面白いものを作っている中学生がたくさんいる。きっとパワーをもらえるはず。

僕の作品とこの作文も数年前まではHPに掲載されていたが、今は見ることができなくなっている。寂しい。

そして慶應普通部に興味がある小学生、その親御さん、僕は自信を持って言えます。慶應普通部はめちゃくちゃ良い中学校です!!心の底からお勧めできる。

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普段はAIやデータサイエンスを慶應の大学院で学んでいる。

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