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雌雄眼とか三白眼とか、綺麗な二重じゃなくても別にいいよね。

わたしの目は、左右で大きさが違っている。

左目はいつも一定なのだけど、右目には2本の二重線がある。

こいつらが気まぐれで、どちらが主権を取るかはその日になってみないとわからない。

だいたいは、奥二重になる控えめな線が優勢。

ときどきは、左目よりも幅広な二重になる線が顔を覗かせる。

なんでなのかはわからないけれど、朝起きた時にはどちらが元気な日か決まっているみたい。

どんなに頑張ってコシコシしても、幅広二重エブリデイな日々は訪れそうにもない。

あとごく稀に、どちらも元気な日もある。

そういう日は、もはや三重だ。

瞬きの度に目の大きさがコロコロ変わるので、どこまでアイシャドウを塗るか迷ってしまう。

全く、困った奴らだ。

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つい先日、SNSで雌雄眼という言葉をみかけた。

左右差のある目のことらしい。

それも、雌雄眼は魅力的だという文面で登場していたものだから、わたしの世界は急に明るくなった。

気がしている。

別に左右で大きさの違う目を、コンプレックスに感じていた訳ではない。

ちょっと扱いにくいなとは思っていたけれど、だからといってアイプチや二重整形で左右差をなくそうと努力したことはない。

もちろん自分的推し半顔は存在するし、撮影の時は無意識にそちら側をカメラに向けていることが多いかもとは思う。

それでも、この目ん玉をどうこうして、より良い自分を目指さなくてはという恐怖に支配されてこなかった人生は、幸いなことだったのかもしれない。

雌雄眼という言葉の輝きに、わたしはぼんやりそう思った。

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雌雄眼とは別に、三白眼という言葉も知った。

瞳の部分が小さくて、白目の部分が広く見えている状態を指すらしい。

自分が三白眼に当てはまるかは良くわからないけれど、比較的黒目が小さいタイプだと思うので、これはこれでなんだか嬉しかった。

そのサイトによると、三白眼の人はミステリアスに見えるらしい、知らんけど。

とにかく、正確には雌雄眼でなかろうが三白眼でなかろうが、わたしという人間の目ん玉の在り方が認められたような、そんな気持ちになった。

だいすきではないけれど、否定的な感情を抱いていたわけでもない目ん玉が、ほんの少し強くなった気がした。

言葉にああだこうだと勝手に決めつけられるのは窮屈だけれど、こんな風に、これでいいんだと励まされることもあるんだって、目ん玉に教えてもらいました。

嗚呼、愛おしき、この目ん玉よ。

これから先も、なんやかんやで一緒に生きていこうね。

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Photographer : 灰色の群

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