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老いて痩せたら、さようなら。

裸になって、6度目の秋がやってきた。

23歳だったわたしが、28歳のわたしになった。

あの頃と、なんにも変わっていない。

つもりだった。

裸になってカメラの前に立つのは、わたしがわたしである確証を得たかったから。

わたしがわたしとして存在しても大丈夫な世界を、どうしても見つけたかったから。

そんな世界で、みんなで笑って生きていたいと思ったから。

そして、そう願わずにはいられないくらい、世界が腐りきっていたから。

6度目の秋になってもまだ、わたしはわたし達が安心して生きていられる世界を見つけられずにいる。

ひりひりするような視線、ぴりついた結界を容易に越えてくる指先、心を感じられない口から紡がれる言葉たち。

未だ世の中、腐りきっている。

そんな世界を尻目に、わたしの身体は変わり続けた。

確実に老い、いろんな形で生きた月日を刻み続けるこの身体が、とても不思議で、ちょっぴり愛おしい。

ーーー

小さい頃から、わたしは背が高い人だった。

中学に入る頃には、既に今と大差ない身長までにょきにょき育ち、体格に伴った体重も当然ながら平均以上。

身体測定後に盛り上がる女子も、気を遣ってなのか、わたしに体重を聞くようなことはしなかった。

痩せていることが可愛いに先行する絶対条件であった当時、体重は痩せを証明するわかりやすい値で、唯一の共通言語だったのかもしれない。

わたし自身も、自分は普通より太っていると思っていた。

少なくとも、女子中学生の平均を示したグラフよりも、わたしの体重折れ線グラフは遥かに上を指していたから。

だれも、大丈夫だよとは言ってくれなかった。

別に、わざわざ「わたしは太っているのか」と尋ねたこともないけど。

思春期特有のむちむち感も。

水泳で鍛えられたハリのある肩幅も。

頼んでないのに勝手に育つ前腿も。

すぐに浮腫んでぱんぱんになる顔面も。

全部、だいきらいだった。

ーーー

このところ、痩せたねと声をかけられることが多くなった。

ある人には、顔が変わったとも言われた。

自分では、全然気づいていなかった。

だけど振り返ってみると、写真の中のわたしは、確かに変わっていた。

なにをしたわけでもない。

ダイエットなんてしていない。

運動も食事制限もしていない。

ただ、老いたのだ。

肋骨や背骨が、簡単に浮き出るようになった。

おしりは少し萎んで、重力に逆らうとこなく下がった。

顔面の脂肪量が減って、目が大きくなった。

笑いすぎるとほうれい線は消えず、毛穴が目立つようになった。

虫刺され跡の色素沈着が、全然消えなくなった。

わたしの身体は、28歳として、きちんと老いているのだ。

だけど、特に嬉しくも悲しくもない。

ただただ、そうなのかあ、わたしも老いてるんだなって思えた。

ちゃんと生きている感じがして、安心した。

ーーー

あんなに痩せたかったのに、あんなに頑張っても痩せられなかったのに、放っておいたら勝手に痩せてしまった。

反対側からみると、わたしはもう、むちむちでぱんぱんだった身体には戻れないのだ。

老いてあの頃に置いてきてしまった、若い日のわたし。

安心してほしい。

痩せていることは、そんなに重要なことじゃない。

時がくれば、その身体とさよならする日がやってくる。

どんなに嫌っていても、どんなに好いていても。

老いとは不可逆で、いろんなものを順番に手放すことなのかもしれない。

わたしはもう、むちむちでぱんぱんな身体には戻れないけれど。

この先、新たに出逢うであろう老いた身体がやってくるのを、たのしみに待っている。

焦らず、慌てず、待っている。

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Photographer : Taichi Goto Mendy

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