保守思想を考える


はじめに

保守思想というのは、中々論理的に語るのが難しいものの様に感じます。

そもそも理屈では無い様なところがありますので、左派ほど理路整然と分析する事も難しいです。私自身も、ポストモダンなどに関しての方が語り易く、保守思想に具体的に踏み込んで書く事はしてきませんでした。

他の方のnoteを見ても、保守を分類する時は、歴史的/政治的経緯から語ったり、領域毎(経済的には保守とか、文化的には保守とか)に分類したりする事が多い様に感じます。

しかし、日本やアメリカの保守政党の主張がそのまま社会の保守観を作る訳ではないですし、領域的分類ありきでは「彼は文化的には保守だから、強固な家制度を主張する」みたいな循環参照になってしまうでしょう。

歴史的/政治的経緯の結果として、或いは領域毎の主張の原因として、保守派にも思想や哲学があるはずなのです。

思想そのものに注目しない限り、「そういう事を言っている人達がいるらしい」と思う事はあっても、何故そう思うのかという核心に対する理解が進まず、分断の溝は埋まりません。

そこで、国内外の保守派とされる政治主張や、保守派とされる人々の発言を見ると、実は保守派自身が保守という言葉の核になる哲学と考えているものに、4つのタイプがある事が見えてきました。

今回はそれを紹介していきたいと思います。

1. 反革命主義としての保守

彼らは革命や、急進的な改革は、そもそも失敗すると考え、現状の維持か、緩やかな改善を良しとします。
「人間は社会を革命できるほど頭が良くない。」「社会は分析して一気に改善できる程、単純ではない。」と考える点で、エドマンド・バークを支持します。

確かに、共産主義革命の世界的失敗などを考えれば、彼らの言うことには一理あります。
しかし、リベラル勢力との議論の中で、はたして彼らの主張はどこまで有効でしょうか。
現実の現代日本政治において、リベラル勢力と保守勢力は同程度に漸進的です。
「急激に変えるか、緩やかに変えるか」という視点での対立自体が、余り発生していない訳です。

また、戦前体制を基準とした様な話になってくると、それは最早守旧ではなく復古であり、成し遂げるには政体にも国民の精神にも再革命が必要です。これは連続性を重んじ、急進性を回避する主張と矛盾します。
バークの時代のイギリスやフランスの状況と、現代日本では、そういった前提が何もかも違い過ぎて、そのままに引用は出来ないのです。

なので、最も保守という字面にあっており、解り易く、古典的な保守観の一つではあるものの、現代の主張としては有効性にやや疑問符が付きます。
もし、急進的な勢力が現れた時には、それに対抗する形でこの意味での保守も再び意味を持つかも知れません。

2. 国粋主義としての保守

先ほど、単に革命を拒絶する事が、現代社会の中でいわゆる保守的な主張として成立するか怪しいという事を話しました。
では、革命の善し悪しではなく、元々の日本の在り様それ自体を正面から肯定する事は出来ないのでしょうか。
それが国粋主義としての保守の立場です。

国粋主義というと、広義には自国を誇る主張ですが、狭義には国体論の支持者を指すと言えるでしょう。
明治期、日本は急速に欧化が進む中で、日本人のアイデンティティを保つ為に、国体という思想が考えられました。
端的に言えば「日本は天皇を中心に一致団結した家族の様なものだ」という思想です。
彼らが尊皇の心を強く持っており、排外的である事が多いのもこうした思想からです。
明治期に特にまとめられましたが、内容はもちろんそれまでの日本の歴史や思想を踏まえたものであり、その後も帝国憲法、教育勅語、広義の国家神道などを通じて戦前まで色濃く影響しました。

国体論は半分宗教であるので「日本国憲法によって、帝国憲法は最早無効になりましたよ」と言っても詮無き事です。
海外でも多くの人が、厳密には現行法や現代科学と相容れない宗教を信仰し続けている様に、彼らにとってそれは関係ありません。
彼らは国体という不文律に従うべきと考えているのであり、帝国憲法などはその明文化、制度化の試みでしかないのです。
ある意味では、日本式の宗教保守と言えるでしょう。

信仰である以上、こうして解説したところで理論的に理解するのは難しいところです。
しかし宗教信仰的であるという点は逆に彼らの心情を理解する手がかりにもなりそうです。
美しい日本の原風景、他国からの侵略を防いだ奇跡の神風、自分達は他民族より優れているという自尊心、そしてお天道様が見ているという日々の道徳感覚、そういった価値観の拠り所が、存在すべきだと考えているのではないでしょうか。

3. 反個人主義としての保守

さて、国粋主義は宗教的であるという話をしました。
しかし、錬金術から科学が生まれたり、宗教から哲学が生まれた様に、国粋主義が迷信を含む宗教信仰だったとしても、そこから合理的な部分を抽出する事は出来ないのでしょうか。
それに対する答えの一つが、反個人主義としての保守です。

彼らはリベラルに反対します。
彼らの中にあるリベラルは「競争的で、他人を思いやったり、協調することの無い個人主義の思想」という観られ方をします。
いわゆるリベラリストの側から見れば「それはネオリベであり、一般的にリベラルと呼ばれるところの社会自由主義とは別物だ!」と思うことでしょう。
しかし、反個人主義としての保守思想を持つ者は、例えば「自分勝手に自分の性別を主張する事で、他人に恐怖心を与えるなどとんでもない。」といった具合に、ネオリベと社会自由主義に垣根を設けず「リベラルとは結局はただの自分勝手である。社会のことを考るべし。」と収束する訳です。

流石に皇室否定派は多くはないでしょうが「天皇陛下がいらっしゃって、その下に平民は皆平等」といったようなワントップのフラットな社会を理想としていて、ピラミッド型の社会は意識していない人が多い様にも見えます。

社会自由主義側も社会主義の側面が強くなっている昨今では、一部の左派側とも合流しつつあります。
右も左もなく、単に「もっと個を捨てて社会の事を考えるべし。国民はもっと平等であるべし。」という、純粋な社会主義、全体主義に回帰していくのではないでしょうか。

4. 反全体主義としての保守

先ほどの反個人主義の保守と真逆のものを抽出したのが反全体主義の保守です。

リベラリストはファシズムの否定を通じて「自分達こそが反全体主義である」と考えがちですが、保守も共産主義の否定を通じて「自分達こそが反全体主義」であると考える場合があります。

これは北米的な保守観とも言えるでしょう。
北米は歴史の浅い国であり、また移民の国でもあります。
彼らの祖先は、ついこの間未知の大地の飛び込み、現地民を征伐し、広大な農場を手に入れ、銃でそれを守りながら、家族で団結して暮らしました。
その様な人々にとってのアイデンティティは、自由と共にあり、自由こそが保守なのです。
ですから、自らの信仰する宗教戒律や、暮らし方、家族の在り方に関しては厳格な一方で、全体主義には反発します。

或いは、ゴッドファーザーを例にしましょう。
コルリオーネ・ファミリーは、恐らくイタリア、シチリア、そして移住先のアメリカに誇りを持っていますが、どこにも恭順はしていません。
冠婚葬祭などでは民族的アイデンティティを大事にしますが、それは血筋への敬意でしかなく、一族の繁栄の為には国を捨てることすらあります。
自立的ですが、一方でそれはファミリーとしての自立であり、個人主義という訳でもありません。
実際的に運命共同体である人々だけが仲間であり、それ以外は他人なのです。

これはマスクやワクチンの国家的強制を嫌い自由を叫ぶが、学校での多様性教育などは嫌がり、家族の自治を求める主張を、説明するのではないでしょうか。
2や3の思想の場合は、原理原則から言えば「それが国家全体の利益だと言うなら、マスクをして、ワクチンを打とう」となるべきですよね。
しかし、4の人々の保守観には国家権力への恭順は含まれないので、そうはならないのです。

こうして北米的である事を強調すると、日本で保守と呼ぶには邪道なものにも見えますが、そもそも欧州や日本の保守を辿った時に通る封建主義や貴族社会、武家社会も、これに近い発想から始まったことは想像に難くありません。
2や3の立場の人でも「国家全体が家族なのである」といったアナロジーを使いがちなのも、「本当は信頼できるのは家族だけ」という認識が前提にあるからではないでしょうか。
ですからこの姿勢は、米国保守に起源を求めずとも、自然発生的な保守観の一つなのです。
実際、先ほどのゴッドファーザーの姿勢は、日本のヤクザにも通じます。

彼らは反国家権力的であるという点や、強い自立的精神から、ネオリベやリバタリアンに通ずる部分があります。

自由主義的ですが、国家権力が家族や企業などの共同体を監視する事を嫌がるという方向に向かう訳ですから、自由社会主義とは余り相容れず、自由放任主義的なところに回帰すると言えるでしょう。

あとがき

さて、今回もお楽しみ頂けましたでしょうか。

「保守=悪」の様に考えていた方も、意外と理解できる部分があったのではないでしょうか。

こうしてまとめてみると、保守が現状維持的かはさておき、左派ほど「こうあるべきだ」という理想ありきではなく、過去や現在からの必然的帰結を重視している様にも感じました。

また、昨今は右左派の対立よりも、反個人主義VS反全体主義の対立の方が現実の政策に対して解り易く向き合えて、そこに関して明確なポジションを持っている人は、左派的な説明も右派的な説明も織り交ぜつつ主張する様なケースも増えている様に思います。

これはあくまで私の観察による保守観の分類なので「自分は全く違う保守観を持っている!」という方がいたら、是非コメントで教えてください。

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