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おばあちゃん

おばあさんと、高校生くらいの男の子が並んで歩いている。

日曜の昼下がりの街でのことだ。

おばあちゃんと孫だろうか。
すれ違いざま、何となく目で追ってしまう。

今時っぽい感じの男の子だったけど、おばあちゃんと2人でお出かけ、なんかいいな。おばあちゃんも嬉しいだろうな。

自然と、自分のおばあちゃんに思いを馳せていた。

私の祖父母は4人共もうこの世にいない。
父方の祖父は私が生まれる前に亡くなっていたので、正直写真を見ておじいちゃんだと言われてもあまりピンと来ない。母方の祖父と父方の祖母は私が小さい頃に亡くなってしまったから、記憶はあるが朧げだ。

私にとって「おばあちゃん」と聞いてすぐ思い浮かぶのは、母方の祖母。
私が大学生になる年に亡くなってしまったが、とても可愛がってくれた。 


心配性で、人に気を遣いすぎる人だった。
遊びに行くと、いつも食べきれないほどのお菓子や食べ物を出してくれた。
おばあちゃんが作るうどんは、普通の素うどんのはずなのになぜかやたら美味しかった。


私が知っているおばあちゃんは背中が小さく丸まっていて、皺がたくさん刻まれていて、いつもどこか遠慮がちな印象を与える人だった。

けれど私の母と母の姉である伯母曰く、若い頃はすごくしつけに厳しくて怖かったそうだ。
孫の私からは想像もつかない。おばあちゃんに怒られたことなんて一度たりともないのだから。

そんな、若い頃はパワフルだった(らしい)おばあちゃんだったけれど、私の記憶の中ではよく母や伯母に怒られていた。

何で怒られていたのか原因ははっきり覚えていないが、理由はその時々で色々あって、その服はもうかなり着古しているからたまには新しい良いものを買えとか、畑仕事をしたいのは良いけど危ないから無茶をするなとか、そんな類だったと思う。

どれも根底には祖母を心配する気持ちがあってのことだが、何せ田舎育ちのチャキチャキ姉妹のこと、幼い私が「そんなに口うるさく言わなくても…」と思うくらい、あれやこれや言っていた記憶がある。

その度におばあちゃんがちょっと困ったように笑っていたのを覚えている。

その当時はおばあちゃんだって大人なのに、何でそんなに口うるさく言うのだろうと思っていたけれど、大人になった今少しだけあのときの母と伯母の気持ちが分かる気がする。

もちろん、一番は祖母を心配する気持ちだ。でも、多分それだけじゃない。伯母と母は、歳をとって弱っていく祖母が少し怖くて、少し腹立たしかったんじゃないだろうか。
「腹立たしい」という言葉は少し語弊があるかもしれないが、テキパキしていて厳しかった自分たちの母親が老いていく姿を真っ直ぐ受け止めるのはなかなか辛いものがあったんじゃないだろうか。
心配や、身近な母親が老いていく姿への恐怖や、そんな色々なものがぐるぐる集まって、祖母へのお説教に繋がっていたような気がする。



母と伯母が祖母を愛していたことは、去年の私の結婚式、前列に座る叔母の膝の上に置かれた、笑顔で写る祖母の写真を見れば分かる。
おばあちゃん、花嫁姿見てくれたかな。

私はもう、あの男の子みたいにおばあちゃんと並んで歩くことは出来ないけれど。
こうやって祖母のくれた思い出のかけらを集めながら歩くことは出来る。
そのかけらの一粒一粒は、私が生きている限り鮮明に輝き続けるのだ。

いつか、まだ見ぬ自分の子どもに、
「あなたのひいおばあちゃんの話」
をしてあげたいな。

そんなことを思いながら、家路についた。