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劇評 シン・ゴジラ

※本稿には、いわゆるネタバレ要素が含まれます。未見の方はご留意ください。

 1954年、日本映画史上初の特撮怪獣映画『ゴジラ』が封切られた。
 海から突如姿を表す異形の獣。その一歩が見慣れた街を瓦礫に変え、その一閃が建物を火柱に変え、あらゆる兵器や施策を嘲笑うように歩き続ける一個の生命。
 終戦から9年。焼け野原の記憶が未だ強く残る人々にとって、再生の道を歩き出した首都を蹂躙するその姿は、どのように映っていたのだろう。
 長年感じていた疑問に、答えが得られた心持ちである。

 シリーズ終了を告げた前作から12年。ゴジラが帰ってきた。vsでもなく、過去作とも連ならない『新』ゴジラである。

 東京湾羽田沖。海上保安庁が無人のプレジャーボートを捜索中、突如海中からの大爆発に襲われる。アクアライントンネルに穴を開け、首都を大混乱に陥れた謎の爆発に対し、政府は未確認の海底火山の噴火との見解をまとめる。
 が、その中にあって矢口官房副長官は、巨大生物の活動との見解を上申する。無論相手にもされない矢口。が、その閣僚たちを嘲笑うように、海面から塔の如き尻尾がせり上がる。多摩川を遡上し、ついに東京に上陸する巨大生物。
 未曾有の厄災を前に、日本は日本を守れるのか?

 映画『ゴジラ』誕生の経緯は有名である。
 公開の同年、ビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験によって、日本のマグロ延縄漁船「第五福竜丸」が、致死量に近い放射能を受け、乗組員一人が死亡するという事件が起きる。プロデューサーの田中友幸氏がこれに着想を得、生き残っていた太古の恐竜が核実験により目覚めるという特撮映画の企画を立ち上げる。
 円谷はこれに、かねてより温めていた巨大な鯨が船を襲う案をかけ、戦争の恐怖を描こうと考えた。が、結局田中案の恐竜が採用され、巨大怪獣ゴジラが誕生する。
 人間の科学への慢心。不当に齎される破壊と殺戮。戦争と原爆という火に焼き尽くされた国の人々にとって、ゴジラはその言い表し難き恐怖そのものに見えたのだ。

 戦後に生まれ、戦争を経験せず育った小生は、その感覚をこうした文章でしか聞き及べなかった。だが本作を見ていて、ああ、もしかしたらこれがそうなのかも知れないと思う感覚に、何度か襲われた。
 2011年3月11日。突然の地震と津波が、日常を根刮ぎ掻き乱したあの日。その被害は首都圏にも及んだ。
 夜は帰宅困難者が街にあふれ、当たり前のように埋まっていたコンビニの棚が空き始め、ガソリンスタンドの前は渋滞し、余震が来るたび縋るようにメディアに耳目を傾けた。
 あの不安と恐怖。帰宅がたった数時間遅れた程度の被害しかなかった私でさえ感じたそれは、正に劇中でこのゴジラがもたらした、不可避にして圧倒的な厄災と重なって見えたのだ。

 過去多くのゴジラ作品において、ゴジラのライバルとなる怪獣や、現代の水準を超えた兵器が、ゴジラへの対抗策として投入されてきた。だが本作にそれはない。
 今回ゴジラと戦うのは、官僚や自衛隊といった、今も当たり前にいる人々。故に理想やファンタジーではない、まるでシミュレーションのような生々しさが全編にわたって漂っている。
 そして結末もまた、今までのゴジラ映画にはない形になっている。

 脚本・総監督は、自他共に求める特撮マニアにしてジャパニメーションの旗手、庵野秀明。監督・特技監督は、平成ガメラシリーズでその名を轟かせた、庵野の盟友でもある樋口真嗣。音楽はもちろん鷺巣詩郎に加え、お馴染みの伊福部オーケストラも盛り上げる。

『新』であり『真』また『神』であり『Sin(罪)』である、現代日本を映し出させるに相応しいゴジラ映画。今を生きる日本人なれば、この映画を見る責任があると思う。

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