雑感・フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと
幕末の歌人、橘曙覧(たちばなあけみ)は、日々の暮らしの中の素朴な楽しみを歌った連作短歌『独楽吟』を残している。
いくつか拝借しよう。
たのしみは まれに魚烹て 児等皆が うましうましと いひて食ふ時
たのしみは 家内五人 五たりが 風だにひかで ありあへる時
たのしみは 三人の児ども すくすくと 大きくなれる 姿みる時
説明はいるまい。
人が生まれ育つ基にあり、やがて多くの人が作ることになる家族というカテゴリ。人生の仄かな楽しみも多く内包しているというのも頷ける。
また人にとっては、求めれば遠ざかり、避ければ添おうとし、隠せば探られ、知ろうとすれば拒まれる。ままならぬものの代表格でもあろう。
独特の世界観と映像表現で、記憶を消してまたやりたいゲームと評された『Unfinished Swan』を送り出したGiant sparrowの新作である。今回も、記憶に残ってしまうゲームを見せてくれている。
フィンチ家を知るものは少なくなかった。
ワシントン州オーカス島に広大な土地と持ち、その風変わりな邸宅と、富豪から天才子役まで輩出した家柄から、新聞に載ることも度々であった。
17歳のエディスは、この家を相続することになったフィンチ家最後のひとりである。そう、フィンチ家が世間の耳目を集めてしまうもう一つの理由は、その一族のほとんどが、奇妙な最期を迎えていることだった。
住む者のいなくなった家に、今なお強く残された家族の面影。エディスはその過去を辿る旅をする。そこに宿る未来に残すため……。
ゲームは終始一人称視点で進行する。敵や怪異の類は登場せず、難解な謎解きもない。動かすべきポイントはもれなくアイコンが出るので、迷子になる心配も皆無だ。
本作の主目的は、そこに展開される物語に、プレイヤーが行動をもってリンクしていくことにある。なので人によっては、簡単すぎると肩透かしを食うかもしれない。
これ以上何を書いてもネタバレになってしまうのだが、とにかくゲームという手段で家族の物語を体験させるという、新しいストーリーテリングを見せてもらった気がする。
隠し通路を這って進み、部屋の中の梯子を登り、増築に増築を重ねた部屋を行き来するうちに、そこで暮らしていた名も知らぬ家族たちに、奇妙な親しみを覚えてしまうのだ。
敵や悪役は登場しない。そこにいるのは皆家族であり、家族の幸せを願うものばかりだ。それなのになぜ、朽ちかけた屋敷だけがエディスに残されたのか……。
家族を持つ人、これから得る人、少しだけ避けてきた人。あなたの記憶をそっと揺さぶる瞬間が、きっとどこかにあるはずだ。
嫋やかなストーリーゲームを、今年のゲーム始めにいかがだろうか?
たのしみは そぞろ読みゆく 書の中に 我とひとしき 人をみし時
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