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正しさ、玉ねぎ、みじん切り

正しいことをしたと思える瞬間は美しい。
なんとも言えない高揚感が全身を駆け巡る。
ようし、これでまだ生きていても大丈夫だな。と、いうような軽快な安堵感もある。
なにを大袈裟な、と嘲笑う人間もいるかと思うが、僕にとって、ホントウのことなのだからしょうがない。

この世界には、数えていたら寿命を迎えてしまうほどの『正しい』が存在し共存している。
忖度することは正しいことだ、と主張する人間が存在する一方、忖度することは正しくない、と主張する人間も存在している。
コーヒーをドリップする時に、あらかじめコーヒーフィルターをお湯で濡らすことが正しいと主張する人間もいれば、いやいやそんなの有り得ないよそんなのファックだよ! と怒号をあげ主張する人間もいる。
それに、本の帯は邪魔だから買ったらすぐ捨てることが正しい、スマートだ! と考える人間もいれば、帯あっての本でしょ! 捨てるなんて考えられないよファックだよ! と主張する人間も数多くいると思う。

上記した事例以外にも、膨大な、枚挙に暇がないほどの『正しい』がこの世界には蠢いている。
各々の『正しい』が、こんなにも蠢き、こんなにも蜘蛛の糸のように複雑に絡まり合っているのに、よく殺し合いにならないなー、スゴいなー、と僕はシミジミ感心してしまう。
人間ってスゴい。人間っていいな。
きっと、この世界に住む数多の人間は、数多の殺意をズボンのポケットに忍び込ませ、それを手のひらでぎゅっと握り締めながら生きているに違いない。
だってそうでなければ、とっくにこの世界は滅んでいるはずだ。

だいたい『正しい』が人間の数だけ、いや、数えきれないほどあるのがイケないのだ。
『正しい』が1つだったら、どれだけ平穏か。
一体どこの誰だ。『正しい』を玉ねぎのみじん切りのように細分化したのは!

あー、正しい! 僕は今、正しいことをしてやったよ母さん! やってやったよ母さん! という感情を、僕が心の底から感受できる事柄が、パッと思いつく限り、2つある。ピース。
1つは、食器洗いをしている時。
焼肉やら、焼きそばやら、焼き鳥やらをキンキンに冷えた缶ビールと一緒に豪快に平らげ、やたらと声量の大きい粗忽な海賊船長のようにガッハハッーと豪快に笑い狂い満足したあとに、まるで人が変わったように、セッセッセッと食器洗い業務に勤しむのが、我が家の慣例。
油だらけのギトギト汚れ食器をお気に入りの「亀の子スポンジ」で丁寧にゴシゴシと洗浄。洗剤は​長年、チャーミーマジカ。コイツで洗うと、油汚れが魔法のようにサラッと落ち、食器がキラリと輝く。
そして僕は、待ってました! と言わんばかりに食器の底に指を這わせ、DJの如く、擦る。
すると食器が、全身で喜びを表現しているかのように、キュキュッ、キュキュッ——、黄色い歓声を上げる。
正しい。
正しいよー。
スバラシイ。
あー、実に正しい。
僕は正しいことをしたよ、母さん、やったよ——。

その瞬間、僕はモーレツに感嘆し、恍惚な表情を、この可もなく不可もなくの、このイケてるフェイスに薄っすらと浮かべるのである。

さて、もう1つ。
スタバでドリップコーヒーを注文した時。
スタバは言わずもがな、超が付くほどの有名コーヒーショップ。
メニュー表にはコーヒー以外に「なんちゃらフラペチーノ」やら「なんちゃらマキュアート」「なんちゃらティー」など実にさまざまな飲みのもが堂々鎮座している。
僕独自のスタバ店内観察調査によると、注文の半分以上、イヤ、ほぼ全ての人間がドリップコーヒーではなく、「なんちゃら系」をオーダー。
なんちゃらフラペチーノ、ホイップ多めで——。
なんちゃらマキュアート、チョコレートソース多めで——。
イケイケオシャレなピーポーたちが、壊れた機械のように異口同音に注文。
僕は疑問なのだ。
ここは美味しいコーヒーを提供する「コーヒーショップ」なのではないのか?
なぜスターバックスコーヒーという名の素晴らしいコーヒーを提供してくれるコーヒーショップで、皆が一様に、コーヒーでない「なんちゃら系」とかいう、
甘くて美味しい!
フルーティーな香りが上品! 素敵!
というような感想しか生み出さないような飲み物ばかりオーダーするのであるか?
これではせっかく東京ドームに野球観戦に来ているのに、終始スマホでサッカー中継を見ているようなものではないか? どうなのか?
邪道である!
君たち、ここは由緒正しきコーヒーショップなのだよ。コーヒーを飲めよコーヒーを!
ン~しっかりコクがあって、それでいてどこかフルーティーで芳醇な香りが口の中に広がりますね~。

とか

ン~このコーヒーからはグアテマラの空気・風・エネルギーがビンビン感じられますね~とってもヤンチャなコーヒーだ、ハっハっハ!
とか、悔しかったら言ってみたらどうだ!
どうなのだ!!へッ!

……とは言ったものの、
鼻息を荒立ててみたものの、
別にいいではないか。
個人の勝手じゃないか。
コーヒーショップで「なんちゃら系」をオーダーしようが、
東京ドームでサッカー中継を見ようが、
テレビでYouTubeを見ようが、
まったくもって、当人の自由……。あぁ、そうだった。僕は批判を展開したいワケではないのだ。僕にとっての「正しいとはなんぞや」を伝えたかったのだった。
こりゃシッケイ。

まぁ、兎にも角にも、僕はスタバでドリップコーヒーを注文すると
「あー僕は正しい」
「いい人間」
「素晴らしい人間」
「お手本のような人間」
と、誰がなんと言おうと、無意識に思ってしまうのである。

もちろん、このことは誰にも言えない。
家族にも友人にも恋人にも上司にも後輩にも同僚にも言えない。
誰にも言えない。
なぜ?
だって喧嘩になりそうなのだもの。

喧嘩は嫌だ。
安寧にこの世界を過ごしたい。

【ここで一言】
「自分にとっての『正しい』は、他の人にとっての『正しい』では決してないから、自分にとっての『正しい』は、やたらめったら口外するものではない。自分の胸の内だけで、静かーに、穏やかーにその『正しい』を弄んでいればいいのだ!」

口は禍の元。多言は身を害す。
あーあ。
『正しい』が1つだったらどれだけ平穏か。

誰か切った玉ねぎを元に戻しておくれよ。

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