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夜明けを待つ波の音

もうすっかりあたたかくなって春の空気。ベランダに出て深呼吸をするとやわらかい風に包まれて、かたくこわばっていた心がすこしほどけていく気がする。

街には大勢の人の姿が戻りつつある。でも検査数が少なくてデータが可視化されていないので、本当のところはどうなっているのかまったくわからない。これでは国際社会から見向きもされないのも当然だと思う。いくら大丈夫だ、感染者の増加は抑えられていると言っても、データがないのだから信用されない。

とにかくこの政府は一切の責任を取らない。すでに自粛の要請すらアナウンスしなくなっているように見える。みんなが我慢できなくなって以前と同じような活動を始めているのを傍観しているようだ。

オリンピックの開催についても、G7の電話会議での発言と日本国民に向けたアナウンスには齟齬がある。本音はIOCから延期なり中止を言ってほしいのだろう。日本政府から延期を言い出すと責任を負わされるから。

感染拡大阻止に必要なSocial Distancingについても、国が命令すると経済損失の補填をしなければならなくなるから、日本政府は黙ったままだ。

とにかくあらゆる責任から逃げている政府だ。だが責任のない政治などあり得ない。だからいまの政府がやっているのは政治ではない。

こんな政府を選んでしまったのは国民の無関心が原因だ。少なくとも、次の選挙はちゃんと自分事としてみんなが投票に行ってほしいと思う。

欧州、特にイタリアの様子を見ると胸が痛む。この患者の言葉は、当たり前の日常がいかに大切かと訴えかけていて心に突き刺さる。

データが少なくて確たるエビデンスもない事態に対しては、リスクを高めに見積もるのが常道だ。社会全体に影響があること、特に高齢者や基礎疾患のある弱者に影響が大きい事態ならなおさらだ。運任せの結果論ではいけない。

Social Distancingによる国民の経済損失は国家が補填すればいい。現に欧米ではそのような政策が採られている。これが政治決断ということなのだが、日本の政治家は愚かなのでそういった当たり前のことがわからない。そして繰り返しになるけれど、このように無能な政治家を選んだのは我々一人ひとりであることも、ぼくたちはこの機会によく考えるべきなのだろうと思う。

近所の公園では桜が咲き始めている。何人かが立ち止まって桜を見上げているのを見かけると、救われるような気持ちになる。美しい自然を愛でるのは人間の本性だ。どんなときでも、そのような美しい本性が失われない様子を見ると、まだまだ人間を信じようという気持ちになれる。

遠い夜明けを待ちながら部屋にこもるのは気が滅入る。こういうときこそ、メッセージのやりとりをしたり、電話で互いの声を聞いたりするのがいい。アーティストたちも部屋のなかで創作を続けている。その静かな波のような音が、世界中で生まれている。波はすぐにぼくたちの元へ届き、孤独な心を癒してくれるだろう。



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