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パースペクティブ (2)

 閑静な住宅街に立つ低層マンション、といえば聞こえがいいが、アパートに毛が生えた程度の我が住まいを後にし、ぼくは駅へ向かって歩いた。途中、大きな銀杏がすっくと立つ小さな坂道を下り、かつては坂道の中腹に通行人から餌をもらう野良猫がたむろしていたのが、今ではすっかり姿を見かけなくなり、寵を受ける一事のみで生き抜くことの大変さをしみじみと感じつつ、駅へ向かう。パンデミック以降、このあたりもすっかり人通りが減ってしまった。それでも午後の三時頃には近くの小学校から大量の児童が解き放たれ、その野生を発揮しながら通りという通りを練り歩いて帰っていく。とにかく小学生という生き物はエネルギーが凄まじく、眼鏡をかけてひょろっとした奴でさえ、その瞳に狂気を宿し、ぶつぶつとつぶやきながら自分だけの世界に浸りきって歩いている。小学生の脳の数だけ世界が存在している、そう考えると、自分の目の前にあるこの世界は何なのだろうという気持ちになってくる。自分はとある小学生の夢想する世界の住人に過ぎないのではないか、そんな疑いは、だが世界とは外部を持たない全てなのだから、人間がこの世界の外側を知ることは永遠に不可能である以上、どこまでも疑いとしてぼくの現実に張り付いてくる。

 最寄りの小さな駅にたどり着くと、その古びたコンクリートの階段も、ピカピカした券売機も、全てが光り輝いて見える。もうずいぶんと電車に乗っていなかったぼくは、財布から取り出したICカードを改札機にかざし、新鮮な気持ちでプラットフォームへ下りていく。プラットフォームでは、バックパックを背負った男子高校生たちが互いにつつき合いながらスマホの画面をのぞき込んでいるが、その画面から溢れ出した緑や青や紫や黄や赤のペンキが濁流となってプラットフォームの床へ流れ出ていくのに、彼らは気づかない。さまざまな色が混じったペンキがスーッと床を伝ってこちらへ流れてくるのを見て、ぼくは白のスニーカーを履いてくるんじゃなかったと後悔する。白のスニーカーは純潔の証なのであって、どのような色にも染まらないからこそ白いスニーカーなのだが、あのペンキに浸ってしまえば、それはもう清らかさを失ったただの靴になってしまう。ひたひたと迫ってくるペンキに後退りしていると、聞き覚えのある音楽が鳴り響き、各駅停車の電車がやってきてゆっくりと停止したので、銀色のドアが開くや否やぼくは急いで電車に乗り込んだ。

 平日の午後三時だというのに、いやむしろ平日の午後三時だからなのか、車内にはほとんど人がいない。七人掛けのシートに一人か二人しか座っておらず、あとは換気のためにわずかに開けられた窓から入ってくる風と、車両の片側を温める日光だけだ。焼き立てのシフォンケーキのようなシートに座ろうかどうしようか迷っていると、肩からバッグを下げた髪の長い女性が日当たりのいいドアの近くに立っていて、女性は壁に寄りかからず、吊り革にぶら下がることもなく、己の二本の足だけで走り始めた電車の揺れを御していこうと、仁王立ちで踏ん張りながら吊り広告を見上げている。白いマスクの上にのぞく彼女の眼差しが非常に熱心なので、ぼくは彼女のそばへ近づいていって一緒に広告を見上げたいという衝動を抑え、その祈りにも似た彼女の首の角度をただ遠くから眺めながら、吊り革も手すりも掴まずにぼくも自分の足で立ってみようという気持ちになっていく。

 電車の揺れは規則的なようで、そうではなく、ガタンガタンという衝撃が生まれるタイミングは、レールとレールのつなぎ目の間隔と電車の速度から自ずと定まるとしても、カーブの有無や電車の加減速により床に立つ者に加わる荷重は絶え間なく変化していく。そうした動きに対応して一箇所に立ち続けるためには、いつでも動けるようにしておくことだ、と彼女の姿は語っている。自らを固定し安定させようとする力は内向きに働くが、そうして一つの状態に自らを閉じ込めようとする試みは、自身と外界とを切り離し、かえって不安定なベクトルを作り出してしまう。そうではなく、自らを解放するのだ、出入り自由な一つの空間そのものになるのだ。柔らかな足腰と、心持ち低くした重心によって彼女は電車の振動を完全に乗りこなしているように見える。先ほどから頻発しているぎこちない加速と唐突な減速によって、この電車の運転士は研修を終えたばかりの新米だろうということは容易に想像がつくのだが、そのような悪条件にも眉一つ動かさず、むしろ衝撃と振動よ来たれ我が許へとばかりに、彼女は腕を組み、平然と虚空を見上げ続けている。その気高い態度に心打たれ、ぼくは達人の演舞を初めて見る初心者のような気持ちで彼女の姿を見つめていたのだが、あまり熱心に見つめたせいか彼女はぼくの視線に気がつくと、眉根を寄せてこちらを一瞥し、次の駅に着くや否や隣の車両へ移っていった。

 目的の駅に着いて改札を抜けると、案外人通りが多くてぼくは驚いた。ミュージシャンや役者が多かったこの街も、パンデミック以降は閑散としておるのだろうという予想は外れ、ギターケースを担いで歩く若者たちの姿があちこちに見られた。街は生きていた、とぼくは嬉しくなり、見ず知らずの通行人に向かってバンザイと両手を挙げたい気持ちになった。これは文化の勝利だ、ウイルスごときに音を上げない、芸術の力なのだと一人うなずきながら、ぼくは古着屋やチェーンのドーナツ屋が並ぶ通りを歩いていった。

 六叉路を渡ったところにある花屋は、以前と変わらずジャングルのような緑に埋もれていた。我が家の狭いベランダに転がっている植木鉢は、全てこの花屋で購入したものだ。

 店に入るとあちこちで天井を突き破って植物が上の階へと伸びており、店の中にジャングルがあるのではなく、ジャングルの中に店があるといった様子で、どこからともなく鳥の鳴き声が聞こえてくると、早くもぼくは樹海に迷い込んだ気分になり、コットンのエプロンをつけた店員を見つけて助けを求めたくなるのだが、森が深くて店員の姿は見当たらない。足元は所々ぬかるんでおり、見ると白いスニーカーのあちこちに跳ね返った泥や土がついていて、ぼくは天を仰ぎたくなるがそれどころではない。とにかくこの深いジャングルの中で店員を探し出さなければならない、枝葉をかき分け前進すると、不意に台のような小さな机の前に座った年配の女性が現れた。紫色のテーブルクロスが敷かれた机の上にはメモ帳とボールペン、プラスチック製の小さな目覚まし時計とボトルタイプのアルコールジェル、それからトランプより二回りほど大きいカードが積み上げられた山が整然と並べられており、女性はマスクをつけてじっと前を向いたまま、ちょっとお兄さんこちらへいらっしゃい、と言った。ぼくは彼女に近づき、すいませんがここの店員さんですか、と丁重に尋ねたが、いいからそこへ座んなさいと女性はぼくに命じた。

(つづく)


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