拡張、成長、進化...の意味を見直す時期じゃないかなと思う

私たちの社会は、拡張、成長、進化を正しいとする前提で動いているように見えます。ベンチャー企業に勤める私も、その流れの中にいます。会社の雰囲気もまさにそう。でも、本当にそれが誰のためのものなのか、誰が何の目的でそれを正しいと決めたのか、時々疑問に感じますね。

「意識高い人たち」は、そういった成長を正義と信じて疑わない。でも、実際にその中で心を病んだり、鬱になった経験のある人たちは、もしかしたらそれが全てじゃないことに気づいているかもしれません。多くの人は、誰かが決めた「これが正しい」という価値観を無条件に受け入れがちですが、本当に自分にとって何が幸せなのか、考える機会は意外と少ないのではないでしょうか。

今日、自営業をしている友達と話す機会がありました。彼は洋服やサブカルチャーが好きで、それを仕事にしています。表面的には羨ましいと思うかもしれませんが、実際はとても厳しい世界です。彼は、好きなことでお金を稼いでいますが、それが簡単ではないことを彼自身がよく知っています。資本主義の中で、価値を提供したら対価としてお金を得られますが、お金を稼ぐことと価値を提供することは本来別々に考えるべきで。

しかし、ルールの中で勝たなければ、好きなことを表現し続けるための資金が尽きてしまいます。ルールに従うことがポリシーに反するから、やりたくないことをやらないといけない場合もあります。私たちは、そんなアンビバレントな感情を持ちながら生きていくしかないのが、今の社会です。

確かに、社会は拡張、成長、進化を肯定的な前提として回っているように思えますが、これは一種、食べても食べても満たされない状態に似ていると感じます。本当にこれ以上便利になる必要がありますかね?私たちは、今あるもので十分だと感じ、それを大切にする方向へとシフトする必要があります。

拡張や成長、進化は文化を破壊する可能性があります。古いものを否定し、新しいものを肯定する―これが現代の流れですが、本当にそれで良いんですかね…? 日本のように世界一歴史の深い文化を持つ国でさえ、この流れに飲み込まれているように見えます。「日本人としての誇り」と簡単に言葉で表すのは陳腐かもしれませんが、私たちは進化の名の下に失っているものがあることをしっかりと認識すべきです。日本人として生まれた感謝。これは当たり前ではないですし、なにか使命があると感じます。

私たちが本当に必要としているのは、さらに便利になることではなく、今あるもので十分だと感じられる場所へのシフトかもしれません。歴史を学び、自動的に受け入れてきた価値観を疑うことが、その一歩になります。

誰も私たちの人生の責任を負ってはくれません。人生は一度きり。自分の幸福は自分で見つけ出し、導いていくしかありません。たまには立ち止まって、自分自身の棚卸をする時間を持つことが、きっとこれからの生き方に役立つはずです。

…とかいいながら、僕はGPTでこの文章をこしらえています。笑
(無論、推敲してるので僕の言葉です)

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