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秋元康自身もアイドルっぽいところが自分は好き


まず前提として
秋元康は作詞家として色んな楽曲(主にアイドルグループ)の作詞を手掛けている偉大なお方である。 

世の中では度々、秋元康の歌詞について議論が醸せられることが昔からずっとある。
世間的に怪しいワードを使った時こそこのことが起こり得る。
最近では、櫻坂46『愛し合いなさい』や乃木坂46の『おひとりさま天国』AKB48『アイドルなんかじゃなかったら』などがその例であり
本当に伝えたい作品の意味と外れた別の方向の意味で伝わってしまうことがある。
これは秋元康だけの問題に限らずMrs. GREEN APPLEの『コロンブス』でも同じ現象が今起きていると言えるだろう。

特に、音楽と言う芸術の世界では起こりやすく芸術は人によって見方が違く、意見も異なる。
また今の世の中の問題点としても見ることができる。
一つの部分だけを切り取られたところを見て全体の部分を見なく悪いと決めることだったり、一人の人間が言ったことが他の人にも広がり一つの圧力となることもその問題点と言えるだろう。
この問題が起き上がるたびに今の情報発達した世の中だからこそ何か感じれることがあるのではないだろうかと考えてしまう自分がいる。
私はこの問題が変わって欲しいとは思うが世の中は不条理なものなため、特に芸術と言う世界においてこのことは誰もどうすることもできないのが残念である

話が変わってしまうが単刀直入に言ってしまうと、秋元康は世間の人々が持つ一般的な良し悪しの部分が自身でもわかっているはずだがあえて悪く見える部分を攻めてるのが私は好きである。
なぜなら、秋元康のファンの自分からすれば秋元康が作った良い作品は悪く取り上げられること以上に何倍もあるため少し悪いことがあっても許してしまう。さらに、世間的に良くない部分を使ったからこそ何か感じれるものあるのではないかともファンの視点から見れば考えられるものがあったり、あえて良く見えない部分を使って作品の伝えたい意味を読み取りやすくなることもできる。
これはファンとファン以外の関係も表している。
ファンにとってわかっても興味のない者からすれば分からないことがあると言えることである。
本来ならファン以外の部分を考えて作品を作る方が多い。
しかし、ファン以外の部分を無視して伝わる人に伝われば良いと言う秋元康の考えが凄く自分は好きだ。
また、秋元康が基本的にプロデュースしてるアイドルグループは基本的に、未完成型アイドルで完璧を売りにはしていない。そのグループのプロデューサー自身も今回取り上げた問題のような未完成でアイドルっぽいところがあるのがより面白く感じさせてしまう。
そんな秋元康が自分は好きなのである。

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