記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

まどほむ

まどマギの話ができる友人がいなくてヤケクソで書いた
キャラの呼び方がブレブレだけど気にしないで


まどかはなんというか、「善性のサイコパス」だと思う。
サイコパスというと誤解されそうだが、反社会的という意味ではない。「自分と他者の命を分け隔てしない」「多数を救うために少数を犠牲にするような選択をとれる」くらいの意味だ。

実際、まどかは他者を救うことにためらいがない。自分がどれほどの犠牲を支払うことになっても、彼女は先に進んでしまうのだ。

一周目の世界では交通事故にあった黒猫エイミーの命を助けるために魔法少女となっていた。たかがといってはなんだが、まどかとは黒猫の命を助けるために、自分が命がけの戦いに身を投じることも辞さない人物なのだ。
そして最後は、眼鏡ほむらちゃんに「あなたが魔女に襲われたときに間に合って、今でもそれが自慢なんだ」と言い残し、逃げることなくワルプルギスの夜に立ち向かって散っていった。

本編のループでも「誰かの役に立てるだけで願い事は叶う」といってすぐ魔法少女になる決心をしたり、ソウルジェムの真実を知ってなお、さやかちゃんのために魔法少女になろうとしたりする。
挙げ句「すべての魔法少女を救済する」という目的のもと、誰からも忘れられて永遠に戦い続けるという宿命を負ってまで円環の理になったわけだ。

しかし、まどかは独善的な人物でもある。彼女の自己犠牲は「誰かの役に立てるような自分になりたい」という私欲に由来するものだからだ。
彼女は徹頭徹尾自分の願いに忠実に生きて、死んでいく。その過程で救われたたくさんの人々をあとに残して。個人的にエルザマリアよりもまどかの方が「独善」の名にふさわしいと思う。
まどかという世界は、本質的に他者の介入を受けつけない。けれど表向きにはどこまでも慈悲深いから、彼女に魅せられた人たちは、手の届かない光輝に焼かれて苦しむ羽目になる。ほむらちゃんがその筆頭だ。

明るくて強くて優しくて、周囲を魅了する。
それでいて独善的だから、自分を案じる周囲のことなど気にせずにどんどん先に進んでしまって、勝手に手の届かないところに行ってしまう。

まどかの魅力はそこにあると思う。「他者を救いたい」という聖人のような目的、ただし彼女自身は独善的。
「他者を救える自分」になりたいから他者を救うのだ。その結果、周りがどれだけ彼女を心配して悲しもうがお構いなしである。

「利己的な偽善者」といえばそうかもしれないが、そのために戦って死んだり、円環の理になるという運命すら受け入れたりするのだから、えらく気合いの入った偽善者である。ここまでやるには、やはりどこかがイカれていなければならない。
「やらない善よりやる偽善」の極北にいるのがまどかであって、実際に他者を救う行動をしている以上、彼女に魅了されてしまう人がいるのも必然なのだろう。

だが結局のところ、まどかは一人の人間を特別視して寄り添うことはしないし、目的のためなら手段を選ばない。だから「このままでは自分は魔女になって、世界に害をなすだろう」と思ったら、これを回避するために、そばにいるほむらちゃんでも何でも利用する。
一つだけ隠し持っていたグリーフシードをほむらちゃんに使ってからの、「キュゥべえに騙される前のバカな私を、助けてあげてくれないかな」「私、魔女にはなりたくない」。完全に悪魔のコンボである。
ほむらちゃんの命を助ける(魔女化を回避させる)ことで負い目を作る。自分を救うまで終わらない地獄のループに彼女を引き込む。魔女化寸前の自分を殺させることで、もう後には引けないと思い知らせる。

やばいな?

個人的には「ソウルジェムが魔女を生むなら、みんな死ぬしかないじゃない!」と発狂したマミさんを殺したところも好きだ。
あのときのマミさんは自棄になりつつも「時間停止が使えるほむらちゃんを拘束してから、ベテランの杏子を殺す」という冷静さを見せていたわけだが……あの瞬間、とっさにマミさんを殺すという選択肢がとれるまどかの凄みよ。
あの時点ではまどかは新米魔法少女(しかもソロではなくグループで戦っている)だっただろうから、とっさに「殺す」という極限の選択ができるのは、自他の命を手段とみなせる彼女自身の性質に由来しているのだと思う。

やばいな?(二回目)
とはいえもちろん、やばいのはまどかだけではない。暁美ほむらも大概やばい。

私はほむらちゃんの願い事が好きだ。「私は鹿目さんとの出会いをやり直したい。彼女に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたい」。
いい。戦って散っていったまどかへの憧憬とか、負い目とか、コンプレックスとか、後悔とか、何もできない自分への嫌悪とか、変わりたいという意志とか、色んなものが綯い交ぜになっていてとてもいい。

単純に「まどかを生き返らせたい」とかじゃないところもいいよね。
ただまどかを生き返らせただけだったら? ──きっと、生き返ったまどかにまた守ってもらうことになるのだろう。結局は何も変わらないのだろう。
それは嫌だ。変わりたい。ワルプルギスの夜を前にして「逃げようよ」としか言えなかった自分、立ち向かっていくまどかの背に「行かないで」と懇願することしかできなかった無力な自分を変えたい。

まどかへの執着と変わりたいという欲求。そしてそれらをキュゥべえに祈ることでいっぺんに叶えようとしてしまった浅はかさ。
これらの歯車がうまく噛み合ってしまったことで、ほむらちゃんの地獄は始まった。

というか、ほむらちゃんの地獄は始まると同時に完成している。
これを象徴するのは5話の「あの契約(=魔法少女になる契約)は、たった一つの願いと引き換えに、すべてを諦めるということだから」というセリフだろう。
「まどかを守りたい、自分を変えたい」。その願いだけを唯一のよすがに、無限にも思える1ヶ月のループに身を投じる。それ以外はすべて捨てる。

しかし「それ以外」をすべて捨ててしまったことが、ほむらちゃんのループが今まで上手くいかなかった原因なのだ。
まどか以外をないがしろにするからこそ、マミさんやさやかちゃんに嫌われ、杏子からも信用を得られず、一人でワルプルギスの夜に立ち向かっては敗北する。そして結局はまどかを魔法少女にしてしまい、次の時間軸へと移動する。

では、まどか以外をないがしろにすることなく、無事に1ヶ月を超えられたらほむらちゃんは救われるのか? ──多分救われないし、そこが彼女の業だと思う。
というのも、ほむらちゃんの時間停止の魔法は1ヶ月限定だからだ。タイムリミットをすぎてしまえば、彼女はもはや「まどかを守れる強い自分」ではなく「固有魔法を失った最弱の魔法少女」でしかない。

つまるところ、ほむらちゃんが「まどかを守りたい、強い自分になりたい」という願いを叶えるためには、終わらないループの中で戦い続けなければならなかったわけだ。
まどかを守るという願いを叶えるために、まどかを守れない1ヶ月の中に自分を閉じ込めなければならない。なんという矛盾だろうか。
思えば、彼女が魔法少女になった瞬間から、その祈りの結末は決まっていた。絶望的な1ヶ月をループし続けることこそ、彼女にとっての唯一の希望だったのだ。最初から分かっていたことだ。

まさに業因。まさに閉鎖回路。まさに自己完結。
救済を受けず、永遠に此岸をさまようことが彼女の救済である。

めぐる時の中で、まどかは何度も自分を忘れる一方、自分のまどかに対する思いはますます募っていく。だから二人の思いや温度感はどんどんすれ違う。
まどかには因果の糸が集まって、魔法少女ないし魔女として強くなっていく。その結果、ほむらちゃんが「失敗」した時間軸で、世界にもたらす被害も取り返しがつかないほど大きくなっていく。
まあ、ほむらちゃんが願ったことを思えば、失敗し続けることこそむしろ願いの成就なのだが。

そうやってループを繰り返せば繰り返すほど、ほむらちゃんは悲劇の主人公になれるわけだ。そして何度となくほむらちゃんの前に立ちふさがってきたワルプルギスの夜は、文字通りこの悲劇のための「舞台装置」でもある。度し難いね。
結局のところ、最初の祈りの形からして、ほむらちゃん自身の手であの1ヶ月を終わらせることはできなかったんじゃないかな。
もちろん、ほむらちゃんにはそういう意識も悪意もなかったと思うけどね。

だから1ヶ月を終わらせるためには、まどかが神にならなければならなかった。
そう思うと、1ヶ月のループとその帰結は実に鮮やかだ。まどかとほむらが各々のエゴイズムを追求した結果、ずれてずれてずれた末に、何の因果かすべてのピースがかちりとはまって救済がもたらされる。
そこに至ってようやく、まどかとほむらのすれ違いも解消されるわけだ。まあ、叛逆の物語で全部ひっくり返るんですけどね。

叛逆の物語を見る限りほむらちゃんは、自分がまどかに対して向ける「愛」の中に含まれるエゴイズムに気づいてはいないのだろう。
ほむらちゃんはまどかを愛していた。それと同時に、きっとどこかで自分自身の希望と絶望を愛していた。交わした約束を忘れることなく、まどかを守るためにめぐる時の中で戦い続ける運命を愛していた。
それとこれは根拠の薄い憶測だが──まどかを守る自分を、まどかを守る世界をつくれる自分を、愛してもいる。ほむらちゃんの最初の願いには「まどかを守る」だけでなく「強い自分」も含まれていたからだ。ループする1ヶ月も、悪魔化してつくった世界も、ある意味ほむらちゃんがまどかのためだけにつくり出したものだしね。

「だからこそ、今はもう痛みさえ愛おしい」のだ。希望と絶望、善と悪、まどかと自分さえも、とけ合い超越した先にあったのが「愛」だったのだろう。
けどほむらちゃんは、自分が純粋にまどか「だけ」を想っていると考えているから、自分の行いを「今日まで何度も繰り返して、傷つき苦しんできたすべてが、まどかを想ってのことだった」と振り返るわけだ。

いいですね。この二人のエゴイズム、折衝、無理解、すれ違い。
ワルプルギスの廻天はどうなるんでしょうね。

「みんなを救済したい、その中にほむらちゃんも含まれている」まどかと「まどかさえよければいい」ほむらちゃん。
二人の愛とエゴがどういう結末をたどるのか、ぜひこの目で見届けたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?