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精神的不調には「対処」できるんだよな

慢性的なものでなければ、心の不調に対処するのは割と容易である、と思う(精神疾患を患っている場合は分からない)。
基本的に、食べて、運動して、眠れば大抵の落ち込みをごまかすことができるからだ。

この点、人間が肉体である・・・ということは都合がいい。
肉体は精神というソフトウェアを搭載した、単なるハードウェアではない。肉体の状態は、実のところ精神の状態に大きな影響を与えているのである。

だからきっと、心身一元論者は穏やかに暮らせるだろう。
彼らにとって、精神的な不調は身体的な不調となんら変わるところがないのだから。
ゆえに彼らは、肉体の不調に対処するように、精神の不調にも対処すればいいと素朴に考えられる。

しかし私は厄介な人間であるがために「精神的不調も、肉体的不調と同じように対処可能である」という事実に一種の絶望感を覚えてしまう。
生理的・機械的に対処可能な「絶望」を抱え、なぜ私は自分の肉体と精神をコントロールし続けてきたのだろう? つまるところ、なぜ生きているのだろう? 私はいかにして人間なのだろうか?

私は今日気分が落ちていたから、その原因を考察した。
休日だったから、いつもよりも食事の時間が不規則で、空腹だったかもしれない。そういえば日光を浴びていない。運動せず、一日中家に引きこもっていた。
いつも休日には文章を書くのに、今日はついゲームに夢中になってしまって、何も書いていない。だから「なにか生産的なことをしなければ」という焦りに、無意識のうちに取り憑かれていたのかも……(それもこれもカルヴァンのプロテスタンティズムのせいだ。あーやだやだ!)

そこまで考えて、ジムに行った。そして運動する。ジムから帰宅する車の中で、私の落ち込みは驚くほどに消えていた。
目論見通りだ。そして少し悲しくなる。私ってなんて機械的なんだ!

自分の絶望が機械的に対処可能であることに絶望する。
これへの「対処」もまた容易だ。酒でも飲んで寝ればいいのだ。忘れ続ける努力をしよう。そういうわけだ、おやすみ。

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