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義憤

  • 一般的に、性格は悪くない方が良い。なおかつ、人は「自分は性格が悪い」と思っていない

  • 「怒り」は中毒性の高い感情である

この二つが合わさったときに生じてくるのが、「義憤」という感情の需要だと思う。

怒ることがもたらす快感を味わいたい。
だから何かに怒りたいのだけど、何の落ち度もない相手に怒りをぶつけたら、自分が性格の悪いヤツということになってしまう。

どこかに、怒りをぶつけても自分の品性を損なわないような相手はいないものか。
ああ、いるじゃないか。インターネットやニュースの中にいくらでも。

全部が全部そうだとはいわないが、人は怒りたいから怒っているのだ。

そして「義憤」は、人に備わっているこうした攻撃性を「倫理的に」解消するための手段である。

…「理不尽に怒りをぶつけるのはダメだ」という道徳意識があるだけマシというべきか、「コイツは叩かれて当然の人間だ」という正当化によって、自らの攻撃性に無自覚・無批判になっているからダメだというべきか。

私は後者寄りの人間なので、どうにも「義憤」という言葉が好きになれない。

実際問題、人に「義憤」を喚起させるような出来事って、すでに顕在化しているわけでしょう? 明らかになったから、広く知られることとなった。
じゃあ、全く無関係な人間が、わざわざ義憤に駆られて差し上げなくても、もう問題にはなっているわけだよ。

自分とはほぼ関係のない事件への怒りに、「義憤」という名をつける意味は、自己正当化以外にない。

だったらまだ、「私が気に食わねぇから、ぶっ潰せ!!」の方が感情的に誠実な気さえしてくる。

まあ、こんなこと、私がわざわざ言語化しなくてもみんな認識していると思うけど……

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