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尾形亀之助詩集『美しい街』を読む


尾形亀之助詩集『美しい街』(「明るい夜」「春」)を読む


詩は難しい。意味がわからない。確かにそういった面もあります。
けれど、詩は面白い。僕は詩をかいている人間のはしくれとして、そう実感しています。
どう面白いのか?それをこの連載エッセー(予定)で少しでもお伝えできたらと思います。


今回、取り上げる詩人は尾形亀之助です。
詩の面白さを語るうえで、詩のエッセー第1回に最もふさわしい詩人と思い選びました。

これは
カステーラのように
明るい夜だ

「明るい夜」

尾形亀之助の詩「明るい夜」の最後の部分です。この前に、〈煙草〉や〈あついお茶〉といった言葉が並びます。あたたかいお茶会のような空気感の中に、〈カステーラのように〉と黄色くて柔らかい直喩が、意外な夜と結びつき、明るい夜となって描かれます。なんて素敵な夜の出現なのでしょう。

しかし作品の面白さはそこだけではありません。作品の一行目に、人々が〈造花のようで〉と書かれています。この一行が僕は作品をより深いものにしていると思います。カステーラのような夜に、なぜか造花のような人々。このアンバランスな感覚が、この詩を、童話の挿絵のような独特なものにしています。

このように、尾形亀之助の詩は独特で変わった詩が多く(それがまた魅力なのですが)、中にはこれは詩なのだろうかと詩と散文のあいだを漂っているようなものもあります。

もう一つ作品をみてみましょう。


掌に春をのせて
驢馬に乗って街へ出かけて行きたい

「春」

「春」という詩のラストの二行です。
最後の一行だけをみると散文なのですが(驢馬が特殊な気もしますが 笑)、前の行が最後の一行をただの散文とは違うものに変化させます。形のない〈春〉を掌にちょこんとのせたい。現実ではあり得ない願望が、形をかえて詩となりました。(読み方としては、ここの〈春〉を例えば〈桜の花びら〉の比喩と読むことも出来ます。が、僕はその読みを採用しません。)

僕が詩をかく時、何も浮かばないのではないかという恐怖と、亀之助の詩のような果てのない詩の可能性とが、脳内で交互にチカチカと点灯します。果てのない可能性に出合う時、それが僕の思う詩のゾクゾクする面白さです。

どうだったでしょうか。少しでも詩って面白いと感じてもらえていたらうれしいのですが。
さて、実は「春」には副題のようなものが付いています。

(春になって私は心よくなまけている)

「春」

やっぱり亀之助は面白いです^ ^




今回ご紹介した詩集『美しい街』はこちら⇩


〔簡単な自己紹介〕
詩書き。〈青い鳥書店〉店主。
noteでは詩の投稿や販売、人生で出合った特別なものを紹介する『重吉おすすめの本・漫画・音楽マガジン!』の運営などをしています。
詩の面白さを伝えたい。
何度も読んでもらえる詩を書いていきたい。




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