見出し画像

雨と映画と赤いテープ

It brings luck or bad luck.

 画面にエンドロールが出た。ふう、と大きく息をつく。昔のフランス映画を見たが、いい映画だった。描かれていたのは、男と女の愛——。
このエンディングをむかえた二人が、冒頭でどう出会ったかを思い出す。郊外の寄宿舎に子供を預けていた女がパリへ帰る汽車に乗り遅れて、同じく子供を預けていて帰るところだった男の車に乗ったのだった。その車中、二人の会話が始まった・・・。
 男と女が出会う。本当に不思議なことだ。何かの拍子で、相手の何かを感じた時に、心がふと動く。すべては、そこから。
 DVDをデッキから取り出しケースに入れながら、自分の昔の出会いを思い出した。高校の時一目で好きになった女の子がいた。しかしその後は続かなかった。会ってもらい、告白をして、すぐにふられたから。映画は現実にはない偶然や奇跡が起きるから面白い。だが現実は映画のようにはいかない。さえない思い出を頭から消しながらDVDをトートバッグに入れ、外に出た。

 歩いていると突然ばらばらと雨が降り出した。結構大粒の雨ですぐに路面が黒くなった。傘を買おうと小走りで近くのコンビニに飛び込む。ビニール傘を手に取ってレジの方に行くと、スーツにショルダーバッグの太った中年が、ペットボトルとビニール傘をレジ台に置いていた。店員は若くて小柄な茶髪の女性で、顔を見ると目がとても細い。店員は、今お使いになりますか、と小さな声で中年の客に聞いた。中年の客は、今雨が降ってきたから買うんだよ、外を見たらわかるでしょう、と低い声で言った。店員はちょっとだけ会釈をしながらレジを打ち、ビニール傘の包装をはずして台に置いた。そして店員が傘の柄のところに店のロゴ入りの赤いテープを貼ろうとした時、太った中年の客は傘をひったくるように取り、ペットボトルとお釣りを手にして店を出ていった。ありがとうございました、と言った店員の指先には赤いテープが残った。
 気まずかったが、自分も手にしていたビニール傘を台に置いた。店員は気を取り直したように傘を手に取った。
「今お使いになりますか」
店員は細い目でこっちを見て、今、中年の客に言ったのとまったく同じ言葉を同じ調子で言った。嫌な空気を変えようと自分は明るい返事をした。
「はい、今使います」
店員は少し笑みが浮かべ、傘の包装を取って指に残っていた赤いテープを白い柄に貼った。そしてレジを打ちレシートとお釣りを自分に差し出した。ありがとうございました、という店員の細い目の表情は変わらなかったが、声が少し明るくなったような気がした。

 雨の中、傘を差して柄に貼られた赤いテープを剥がそうとしながら歩く。肩にかけたトートがずり落ちてきて体勢がうまくとれない。それにテープはしっかりと張り付いていた。中指の爪でかりかりやっていると、テープの端がちょっとめくれたので、つまんで引いた。するとテープはつまんだ部分だけ斜めに切れていった。人はやろうと思ったことがどんな些細なことでも、うまくいかないと気持ちが乱れる。全部きれいに剥がそうという前向きな気持ちはもう失せてしまい、白いプラスチックの柄には赤いテープが斜めに切れてそのまま残った。

 ビデオレンタル店でDVDを返却する時は、次にレンタルする映画を探す時でもある。これというものを決めずに来たので、棚を色々見て回りケースを手に取ってストーリーなどを読んだりして映画を選ぶ。一週間の期限で借りるのは2本までと決めているので、今日もSFとヒューマンものにしてレジへ持っていく。腕時計を見ると店に来てから40分も経っていた。
 ガラスの自動ドアを出て横の傘立てを見ると、自分の傘がない。ビニール傘は何本かそこにあったが、あのコンビニの斜めに切れた赤いテープが柄に着いている傘がない。誰かがテープを剥がしたか?人は思いもよらないことが起きた時、無理矢理つじつまが合うように考えようとする。でもそんなことをする暇な人がいたとして、テープを剥がしたその傘を使わずに置いていくわけがない。雨はまだしっかり降っている。とにかく、この店で傘がなくなったことをちゃんと言おうと思い、中に戻って店員に声をかけた。
「あの、傘が持っていかれたみたいで・・・」
「はあ」
「ビニール傘だけど、自分のだってわかる印がついていたんですけど」
「ビニール傘ですか?店の方ではちょっと・・・。すみませんが」
店の方ではちょっと、何なんだ。ビニール傘ごときでということか。こうなったらこっちも間違えてやる!そう決めて傘立てにあった数本のビニール傘の中から適当に一本を取り出し、急いで店の前を離れた。気分はしっかり後ろめたかった。誰かが後ろから追ってくるかもしれないと思いながらその傘を差すと、骨が一本折れていてビニールの向こうもよく見えない、さっき買った新品とは比べ物にならないものだった。

 いつものカフェへ行こうとバスに乗っていたら、空の雲間から光が差してきて雨が上がった。この薄汚い傘はもう必要がない。バス停に着いたので席の横に掛けたまま置いていこうと思って、乗降口へ向かった。すると後ろから声がした。
「ちょっと、忘れてますよ、傘」
その親切は余計なお世話だ、おばさん。しょうがなく傘を持ってバスを降り、歩きながら何の店かも知らず目に入った傘立てに傘を入れた。これなら忘れたことにも捨てたことにもならないだろう。それにまた雨が降れば誰かの助けになるなどといいように思いながら。しかし歩いていると、また雨が降ってきた。なんていう天気だ・・・。もう傘は面倒だと走り出すが、雨粒が大きい。今日は運が悪い。そう思いながらカフェに着きドアを開けた。
 
 外はまだ雨が降っている。雑誌を読みながらコーヒーを飲んでいると、女性が一人、横の席に座った。彼女はティーオレを頼むと、バッグから手帳と自分と同じビデオレンタル店の袋を出した。そして袋からDVDを三枚取り出してテーブルの脇に置いた。その時、重なりが浅かったのか一番上のDVDがするするとテーブルから床に落ちた。DVDを拾い上げて差し出すと、あ、すみません、と言った彼女と目が合った。目の大きな、きれいな女性だった。あわてて目を伏せるとDVDのタイトルに目がいった。それは先ほど自分が返したのと同じものだった。DVDを渡しながら、つい口をついて言葉が出てしまった。
「あの・・・、僕も、これ見ました」
彼女の表情が明るい笑顔に変わった。
「あ、そうなんですか?」
「すごく、よかったです。これから見る人に、ストーリーは言えないですけど」
「そうですね、それは遠慮しておきます!」
彼女は首を横に振りながら微笑んだ。

 二杯目のコーヒーを飲みながら、彼女と映画の話を少しした。彼女の髪はあごにかかるくらいのショートカットで、紺のニットと襟元の白いシャツに清潔感がある。彼女は落ち着いた柔らかな声で好きな映画を上げていった。それは自分の好みとも重なり、話は合った。
「じゃあ、その映画見たら、感想聞かせてください」
「はい。また、ここでお会いした時に」
彼女に再会の確かな約束をとりつけるつもりはなかった。縁があれば、またいつかここで会える。

 たまたま隣になって、すぐにおごるのも変なのでやめておいた。ドアを開けて二人で外へ出る。相変わらず雨は降り続いていた。彼女は傘立てからビニール傘を取り出した。
「あの、私、魔が差したんです」
唐突に彼女がそう言った。一瞬何のことか分からず、彼女の顔を見た。
「この傘、私のじゃないんです。駅の出口の手すりに掛かってました。晴れたのでいらなくなったんでしょうね。でも今日は何かまた雨が降りそうな感じがして、私一瞬魔が差して、持ってきちゃったんです」
彼女のビニール傘の柄に目がとまった。そこには斜めに切れているコンビニの赤いテープがついていた。驚きを隠しながら、彼女をフォローする。
「置いていったものだから、いいんじゃないですか」
彼女は少し安心したように言った。
「置いていったもの、ですよね」
「それに今、僕、傘がないんです」
両手を広げたポーズをとると、彼女は大きな目をもう少し大きくしながら頷いた。そして彼女は傘を開いてこっちに差し出した。
「どうぞ、行きましょう」
「これで、ぼくも同罪だ」
「えっ、やっぱり私、罪を犯しました・・・?」
彼女は傘を見上げて笑った。この傘のもとの持ち主のことを、今彼女に言うのはやめておこうと思った。
 見終えた映画、気まぐれな雨、傘の柄の赤いテープ、そして彼女との出会い。この自分にほんとうに起きたまるで映画のような偶然。どうやら今日は、運が悪い日ではなさそうだ。また少し強く降ってくる雨に、傘を持つ彼女の肩が自分の肩に触れた——。

                                (了)
                                                        

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?