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援助。特権。母。

エホバの証人というか、母が属してる会衆は「優しさ」という義務も課してくいることがあった。
事実あったことのみを書きたいけど、今となれば思うわたしの気持ちも一緒につらつら書きます。

長老の奥さん姉妹が病気になったとかで入院することになって会衆でご飯の援助をすることに。
でも、今思えば、成人間近の娘(姉妹)もいたのになんでご飯の援助が必要だったんだろう。普通の家庭なら、娘と父と簡単にご飯済ませるとか、コンビニで買うとか今のご時世ご飯に困ることはないのに。お弁当作って持っていくか、もしくは買うか。またその金も徴収される。

巡回訪問でご夫婦で来る場合の3食のご飯の援助。(特権?といったかな・・・。ともかく、そういうことをさせてもらえるのは喜び!)みたいな感じだった。
みんなで食べる食事は徴収されるとしても、朝ごはんなんか勝手に2人で食べたら良いよね。でも、それもこちらがお金を出す。もしくは届ける。

車の援助。奉仕に行く。大会に行く。それって車を持ってる人が乗せていってくれるのだけど、「車の援助(乗せてもらう)の当たり前」とまでは言わないけど
そんな圧がある。
それは逆もで、乗せてあげてるの圧っていうか。
幼少期はわたしはすごく母と肩身の狭い思いをした。「乗せてもらう」っていうことに。
これは母のことですが、あの時よりだいぶ時代が変わった今「車の援助、エホバに祈ると、だからかしら声をかけてもらえる」って言っていて。「声かけてもらうっていうか、行きたいなら母からお願いしたら?」って言うとそれは嫌なんだよね。おかしなプライド。「だったら行かない」
え?って思う。エホバはいいのか?

これも母のことですが、「エホバのことは、なんでも気持ちよくやってもらうこと」を望んでいるので少しでも、気持ちよくやってもらってないと思うと、
自分が助けてもらってることは棚に上げてそれを愚痴る。
奉仕報告の出し方が変わった。群れの編成があった。何かの発表がされた。
最近、集会には行かないでオンラインで参加してるため、何かしら助けを必要としてて(教えてもらわないといけないから)それを仕事的にこなす兄弟に、メールの返事が来ないだの、ポストに手紙もなく雑誌を入れられてただので文句を言っている。
今は、きっと昔々の兄弟関係じゃないと思う。昔のアツいエホバの証人を知ってる世代には寂しい気持ちになるのだろう。

ともかく、援助という名の優しさの・・・・。なんと表現していいか分からないけど。なんか普通に会社でもありそうな人間関係に振り回されてる。やってあげた。やってもらう。助けてもらう。特権みたいな。なんか変な文化。

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