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なぜ池袋おじさんになったのか

IKEBUKURO LIVING LOOP の裏話 ─第1話─

生まれ育った街、池袋。その池袋がある豊島区が東京23区で唯一消滅可能性都市といわれたのが2014年。そこからの6年、池袋界隈で気がついたらいろんな活動をしてきて、ある人から「池袋おじさん」と言われるようになりました。特にこの4年は屋外で過ごすことが多くなったからか今では真っ黒に日焼けしてもう残念な、もうじき45歳です。まさかこんな黒豆みたいなおじさんになるとは思ってもいませんでした。

今年もあいつがやってくる

池袋駅東口にまっすぐ伸びる「グリーン大通り」と僕らがオープニングから携わってきた「南池袋公園」という2つの公共空間をメインステージに、未来の池袋をリアルに表現してみる特別な3日間のイベント『IKEBUKURO LIVING LOOP』がまもなくやってきます。

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4年目の今年は、10/31(金)から11/1(日)、11/20(金)から11/23(月・祝)の計7日間!!新型コロナ感染症対策に気を配りながら...と、想像するだけで南国の島に逃避行したい難易度MAXなプロジェクトになってしまった。自分たちでしたんだけど...

せっかくなんで自分で自分を奮い立たせようと、ここに至るまでの経緯や大切にしてきたことなんかをつらつらと思いつくままに振り返ってみます。
なるべく、短めく、あっさり、ありのままに。何話になるかわかりませんがどうぞ最後までお付き合いください。

すべてなりゆきでやってきた

グリーン大通り等における賑わい創出プロジェクトという豊島区の事業公募にnestという会社を設立までしてエントリーしたのが2017年3月。採択された5月から3年半。なりゆきでやってきました。

nestとは巣。まちなかの公共空間でまちを感じながら育った子供たちが戻ってきたくなるまちに、ここから育てていこうという想いを込めてつけたネーミングです。

日常を、劇場に。
いつもはただ通り過ぎてしまうだけの大通りや公園が、いつの間にかなんだかずっと佇んでいたくなるような場所になったら—— 何気ない日常のなかに、そんなハッピーなハプニングが潜んでいたら、都市は市民のステージに生まれ変わる。何気ない日常が、きっともっと心地よいものになる。
市民と行政が共につくるこれからの公共は、ルールやマナーを押し付けるのではなく、心地よさを追求したい。顔の見えない「みんな」よりも、「自分」や「あの人」を幸せにするために、欲しい場所は自分たちの手でつくりあげていきたい。nestはそんな「自分」たちが立ち上がったチームです。
豊島区池袋。世界で二番めに多くの人が行き交うこの駅のすぐそばで、私たちは一歩ずつ地に足をつけた未来づくりをはじめます。子供たちが都市の中で、少しだけ伸びやかに過ごせる未来を目指して。
さぁ、市民の巣、自分たちで育てていきましょう。

一気に書きあげた当時のステートメント、少し暑苦しいですね。

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まだ事業をスタートしたばかりの時点、期待値だけで取材してくれたソトコトが「みんなにとっての居心地のいい"巣”をつくろう」と表現してれてとても嬉しかった。編集長の指出さん、担当してくれた木村絵里ちゃん、記事かいてくれた小久保よしのちゃん、撮影してくれた高岡弘さんには足向けて寝られない。

nestという会社は、一緒にやるならこの人しかいない!と思いのままに電話して(失礼ですよねほんと)共同代表をお願いしたOpenA馬場正尊さんと、ぼくのもとでとしま会議を一緒に育て、今は馬場さんのもとで公共R不動産を運営する飯石藍ちゃんと、当時宮田サラと2人でいろんな事業にチャレンジし始めたばかりだった自分の会社まめくらしで共同で出資して、この事業のために2017年4月20日設立しました。当面収入も見込めないので社員採用もできず会社に在籍するのは全員取締役の4人。一年前の2016年4月2日南池袋公園のはじまりの日の風景をともに体感したメンバーです。宮田は当時23歳。「サラ、取締役ね」「は、はい」もう全部なりゆきです。

今では公園行政を管轄する国土交通省の看板のように有名になった南池袋公園。そもそもかかわることになったのも、なりゆきでした。というのもはじまりは、公園の中のレストラン事業者に公募で選ばれたグリップセカンドの代表金子信也さんからの一本の電話。正確な記憶は薄れていますが、確か「細かい説明は追ってするんで、ひとまず関わってくれない?」と。そこに浅墓な算段や深い思惑なんて描く余裕もなく、即答で「やる!」と応えたことからすべてがはじまったのです。生まれ育ち、今は事業を営む街。縁あって検討委員として豊島区の皆さんと創り上げていた「豊島区リノベーションまちづくり構想」で明らかになった都市としての課題に真っ向から向き合い、未来につくりたいと思った理想の豊島区の理想の風景を当事者として実現できるかもしれないと思ったのは後付のもっともらしい理由ですが。まあ、面白い人に面白そうなこと誘われて断る理由なんてありませんでした。

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金子さんたちと詳しく打合せを重ねるなかで、わずか3ヶ月後に、お決まりの、来賓の皆さんを招いて関係者の皆さんによる「できたことを喜ぶ」開園式典が予定されていると聞いたときには愕然としました。

「それだけでいいのか」と強烈に危機感をいだきました。
公園にできた!ってあるのか?
つくるまでよりできてからのほうが大切なんじゃないか。
魅力的な日常があってこそ、魅力的な公園になるんじゃないのか。

南池袋公園はもともと危ない・汚い・怖いの池袋の象徴のような場所で、公園で起こるハプニングが影響してエリアそのもののイメージが良いとは言えない状況でした。

「え、あんなところにこんなきれいな公園できるの?行かないけど」が率直な地元民の感覚でした。

当時の豊島区公園緑地課の石井課長(その後部長)が並々ならぬ労力を長年かけ続け、地元が誇るランドスケープ・プラスの平賀達也さんチームが素晴らしい設計を提案し、当時は珍しかった芝生のきれいな公園にリニューアルをさせたとしても、まちの人たちはその背景を知らない。日常的に滞在する場所に生まれ変わるのは相当大変だと感じていました。

できたことを喜ぶ一日ではなく、未来が楽しみになる日常を描こう

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南池袋公園のすぐそばの東通り(あずまどおり)を拠点にレストラン事業をドミナント展開していく金子さんたちが、当事者としてあの場所に覚悟を持って挑むのであれば、できた瞬間だけでなく、歳月を重ねて地元の人が日常的に集まる状況をつくりたい。レストランの売上の一部を公園の維持運営費に還元する計画(後にブームとなったPark-PFIの先駆け)に弾みをつける一日にできないかと。

焦りました。でも自信は少しありました。僕たちには地元の顔が見える人のつながり、社会関係資本があったから。金子さんが声をかけてくれたのはまさにそのことが理由だったのです。

当時としま会議を共につくった中島明くんにも相談して、としま会議に登壇してくれたまちで暮らす皆さんと「こうなったらいいな」と未来が楽しみになる日常を描くことにしました。

日常を劇場に。まち全体が舞台の 誰もが主役になれる 劇場都市を掲げる豊島区に新しくできた公園で起こるハッピーハプニングがまちのイメージをプラスに変えられたら。そんな願いであの一日を実現したのです。


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当時、青豆ハウスに暮らしていた LENSのふたり、Kenkenこと岡田憲一くんが、それこそ僕の相談一本でなりゆきで(音声収録のためにiPhone紛失しかけてまで)撮影し、パートナーのKuniこと冷水久仁江ちゃんと魅力的な編集をしてくれた、たった一日のたった6時間のハッピーハプニングを撮影した動画。

この4分の動画が後の僕たちにもっと大きななりゆきを運んでくれるのですが、今日はこのあたりで。

今から4年前の話。
次回は3年前の話を中心に描こうと思います。

なりゆき、というか、行きがかり。
一見「雑なこと」に聞こえるかもしれないけど、馬場さんが言うんです。

「偶然のようにやってくる必然をつかまえろ」

池袋おじさんになったのはすべてなりゆき。
でも、偶然ではなく必然だったのかもと思えたから、この4年いろんなことがあったけど今も池袋おじさんで居られる気がします。
(続く)





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