【蒼雑記】人間・真空・無限遠
これの回答書いてて思ったこと。
恩師曰く「完全な真空の中での創作はあり得ない」とかなんとか。
作品がどれだけ独創的でも、作者がどれだけ情報を遮断しても、必ずどこかの何かの影響を受けるもの――という感じの話だった。
それは人間にも言えること。
人間は真空に生きられない。
僕らは何をするにしたって世界から情報を受け取っている。受け取って、解釈して、息をするように姿形を変える。変わってしまうと言うべきか。
影響を受けないことは不可能だ。物語が真空に生まれないように、僕らも真空には生きられない。良くも悪くも影響を受けてしまうのだ。
少し違う話かもしれないけれど、「無言とは『無言というリアクション』である」という語りもあることだからね。「変わらないぞ」という頑なさすらも、それは非・真空だからこそ生まれる気持ち。
だから、僕らは望むと望まざるとに関わらず、空気のような何かを肺の中に吸い込んで、胸の内にあるっていう心は、それに染まる。
恐ろしいね。だけど今は人生の怖さの話じゃない――これは話すと長くなるからね。
僕らは星を目指す。
真空に生きられない僕らは、だけど星の瞬く空に手を伸ばす。
無限に広がる星の海は本来真空。輝きは粒揃い、並べて眺めて果てはなく、煌めきに日々身を焼かれても。それでも進むと思えるのならば、進めるんだろう。
近くにあると感じた星<誰か>はずっと遠くなんてザラで、輝きは一瞬でもそれが永遠の焼け痕<モチベイシヨン>を心に残すこともある。
輝きはいつだって真空を切り裂いて、地上よりも不安定な僕らへ届いて心身を焦がしてくるのだ。
だけど創作の宇宙で、真空じゃない星の海で、いっぱい吸った空気と受け取った火種を自分のモノにして、自分だけの炎を燃やせて誰かに熱を届けられたら最高だよなぁ。
無限遠の宇宙へ。
安穏と地上で生きていても、自らの才気を恃みに宇宙へ出ても、人間に完全な真空は存在しえない。物語がそうであるように、人生もまた真空には存在しえない。
近いと思えば遠く、一瞬は無限に長い。時間も空間もいくらでも狂う主観宇宙。どこまで行っても答えは出ないし、どこにだって答えはある。
数多の影響を受けて出来上がるのが「僕」なんだから、「僕」から生まれる創作もまた、n次創作なのだ。だからどうだ、と言うつもりはない。ただ、何かや誰かに感銘を受けたり、ネタが多少類似したって後ろめたくはないんだよ、って話、かな?
大事なのは宇宙で、荒野で、燃えていられること。光っていられること。それそのものなんだから。
ひとこと:長々書いた割にまとめがふつうだなぁ。要するに「脇目振らずに読め!見ろ!食らえ!書け!!」ってことかな?
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