Bet everything But no-life
誰もが怯え、しかし騒然とすることさえできないホールで笑っていたのは、銃口を二つ突き付けられていた男本人だけだった。
不自然なほどのチップの塔の前に座る彼は、ラフに着崩したスーツスタイルだ。白いジャケットから覗く黒いシャツには皴がない。ホールドアップした手首に光るアクセサリーも厭らしくない。整った身形の中で、今は卓に置かれている黒いパナマハットだけがくたびれていたのが印象的だった。
「ベック、少しは懲りるって言葉を学んだらどうだ」
「目いっぱい学んださ。忘れたけど」
「てめぇ……」
銃口は未だ、ベックと呼ばれた男に向いている。どころか、彼に銃口を向けた警備隊長は、不敵な返事に指を引き金にかけた。細く息を吐き、鋭い目をさらに鋭くする。
「一年前、てっきりアレで死んだと思ったんだがな」
「どーりでブラックリストに入ってなかったのか。死にかけるのも悪いことばっかじゃねぇや」
「……なら、もう一回楽しませてやる」
何らかの指示を受け取った隊長が、ベックを挟んで向かいの黒服へ目配せをする。勘付いたベックの咄嗟の制止を掻き消すように、ほぼ同時に銃声が二発。着弾音も二つ。防弾チョッキに着弾する音が、二つ。
「だから止めたんだ……」
仲間の弾丸の衝撃よりも事態の不可解さに目を白黒させる二人に、ベックは溜息を吐いた。彼は無傷だ。頭蓋を貫通した銃弾が同士討ちを起こしたわけではない。
依然として白銀のジャケットの埃を払いながら、彼は立ち上がる。それから、両のこめかみから立ち上る“霧のような揺らぎ”を隠すように、卓上のパナマハットを深く被った。
「悪いが、俺は死んでやるわけにはいかないんだ。せめて娘の結婚式くらいまではな」
換金を終えたベックは言い残して、どうやっても入りようのない量の札束を懐に仕舞い込み、忽然と消えた。
思い出したように付け加えた「あぁ、もう死んでるけどさ」という補足は、警備隊長にしか聞こえなかった。
【続く】
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