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【蒼雑記】富野由悠季の世界展を見てきました

ドーモ、高梨蒼です。

兵庫県立美術館で開催されてた富野展を、富野既修&富野展に一回来たことある友人をガイド役にお願いしていってきました。

ちなみに、行く前に一緒に仮面ライダーゼロワン×ジオウの映画も見てました。これもまた名作だったんですよ……。

富野展、(当たり前だけど)初めて見るもの聞くこと読むもの知ることばっかりで、刺激がすごくあって現在(ライダー映画と合わせて)オーバーヒート気味なので、今日はざっくり感想だけで許してくださいね。

ちゃんと書くとノート8ページ・在館5時間分のメモ書きを解読しながら感想まとめなきゃいけなくなるんですよ!?許しなさいな!

機械的描写のリアリティ感覚

「機械的なリアリティ」を相当重んじているらしい。お父上の職業柄、家にあった与圧服っていうスーツにしてメカな代物が刺激だったらしい。

で、そこに『月世界旅行』って作品を見ることでSF、機械技術の未来についての観念が強固になる。

一方で、その『月世界旅行』はドラマとしては微妙だったらしく、『来るべき世界』とかのドラマ……フィクション、物語としての「うそ」にも惹かれたそうな。

そこから、現実の科学を考えたり、架空の戦闘機の三面図を書いたり…「機械の中に人間がいる」ことを改めて意識したりしながら、だんだん道具としての機械技術(の進化)と、それを扱う人間の両面のリアリティを捉えるようになる…って感じ?

特に学生時代の作品は内向的なエネルギーがあったり、核爆発と放射能についての研究があったり、航空機の発展を「世界が狭くなる」ととらえたり……リアリズム、悲観性がどこかにあったように思うな。
おそらくは、「機械技術」に限らず、だけど。

「機械はリアルに描く」「機械を扱うのは人間であり、人間を描くドラマ的なアイテムでもある」「大きな機械技術は人の世に陰を落とす」って根底意識を感じたかな…。

人の心とドラマのリアルについて

高畑勲監督はロングショットで『その世界』を描いた映像で、静的なリアリティを表現した。
演劇で言えば舞台装置を作りこんでるタイプだ。一目見れば何がどうなってるかわかるやつ。

一方富野監督はかなり初期から、短いカットでアクションを交えつつ、動的に、そして会話劇を含めた結果を以て動的なリアリティとした。
演劇で言えば抽象的な――箱を一つ置いて、時々に応じてこれは椅子です、今からは金庫ですと言い張るような――そして、演技を以て本当にそれは時に椅子で、時は金庫と見せられるような――会話と舞台利用、人の営みの結果をリアリティとした。

総合的にとか絶対的にどっちがいいとかはない。手法の差でしかない。

ただ、そのドラマを「魅せる」富野的なコンテは、セリフにもアクションにもメリハリをつけさせた。
そのスタイルは「不安定な心」を描くには向いてたのかもしれない。あるいは書くためにそのアクション手法を取ったのかも。

不安定だから怒る、怒るからビームサーベルを抜く。不安定で恋しい、恋しいから非合理なことをする。不安定で野心的、だからこそ謀反を企てる。

人の心の弱さとか、そういうのを殊更に彼が思うようになったきっかけ、事件、トラウマみたいなことは展示を見る限りなかったけれど、少なくともそこにあるだけの自然や緻密なマシン設計図だけを『リアル』と呼ぶ趣味じゃないことは分かる。「リアルさとは、その道具を使っている・創り出した人間があって初めて描ける」とでも言いたげだった。道具に道具としてのリアリティを常に求めているようだったけど、配管が完璧だからどうこう、は主題ではなかろう。

人間の心は不安定で、不明瞭で、分かりあうことが難しい。闘いのない時代なんて存在しない(『ザンボット』)し、人は自分でいることをやめられなくて(『Zガンダム』)分かり合えてもいいことばかりじゃない(『Zガンダム』とか)。そういう「個の/個と個の心の難しさ」を、あらゆる作品で書いてたように見える。
資料展だけの情報で何を言うか、って感じだけど。

で、そういうテーマを書くには結局闘争になっちゃうんだよな。これもいわば、戦いを書きたいというよりは闘いを通じて人の心を書いているというか…。
初めてロボットアニメで人間と人間の戦争を描いたってのも、単純な正義と悪じゃあない心とかイデオロギーみたいなことを描写するため……なんですかねぇ。

だから逆に、明確な兵器闘争じゃなくても人の心と繋がりうる場面が詰まってる『∀ガンダム』みたいなものも、「心の力」「神秘の理念」……つまり、オカルト要素を含んだ『イデオン』『バイストン・ウェル』『キングゲイナー』も出てくるわけだね。

舞台装置が未来でも異世界でも、「人の心のリアル」は描くことが出来る。

この「結局何やったって人間は魂の根っこでおんなじなんだよ」、「SFは技術ではなく変容した社会と人を書くものである」とか「ファンタジーは日常の延長線上にある」みたいな部分で、一般化とか自分の武器にできそう?

人の営み、家族の営み、世界と世代の営み

人間・主人公側の家族の描写およびトラブルの描写も富野監督が開拓した。って展示に書いてあった。正直そういうものが一般的になってから生まれたからピンとこない。

詰まるところは、「人の歴史」「善行悪行」「想い」を人がどう扱うのか、を「世代感での伝え方」で描こうとしてたこと……だと思った。
親子喧嘩、和解、別離決別とか。
神話的な昇華とか。
子供と大人の対立とか。

『リーンの翼』『∀』『Gレコ』『海のトリトン』あたりで、人の営みは世代を超えて語り継がれ、ときに秘匿・隠匿され、あるいは歪めて伝えられるってことを何度も伝えてるような気がする。

考えてみりゃGレコの宣伝でも「次の世代にこの世界にある問題について考えてほしいんです」的なことを言ってたしな…越世代的な観念が大きいのかなぁ

こまごましたもの

・言語センスやべぇ
単純なセリフ感もすごい。ザブングルの次回予告原稿が飾ってあったので読んでみたんだけど、初見でするする読める。七五調って偉大。

いわゆる富野節、その根源はどこにあったんだろうな…。いや、機械系とかその描写の仕方(であるドラマが甘かったら意味ねぇんだよな的原体験)は分かったんだけど、どういう曲折の結果あんな言語センスになったのかは分からずじまいでした。摂取した作品とかの根源的ななにかなんだろうか。

・コンテすごい
ド素人にゃ正直他の場所で出してあるほかの人の絵コンテとどう違うのかわからなかったけど、そういう他のコンテと遜色ない、場合によってはそれ以上にキレた作品がすごい早さで出来る。らしい。あまりの早さと巧さに、多方面から同時に請け負うフリーコンテマン時代があったって何なんだ……。

コンテが書けるということは、頭の中にある「画」と「我」を「現実の時間と照らし合わせて」「他人にもわかる形体に」出力するスキルが極めて高い。情報の取捨選択スキルかな。
いや、一流のクリエイターなんだからそういう高い能力があるのは分かってたんだけど、いや……実際に資料を見せられると…いやぁ…すごいなってなっちゃった。ド素人にゃ正直他の場所で出してあるほかの人の絵コンテとどう違ってどうすごいのかわからなかったけど…。

・ベルリとアイーダ仲いいねぇ
音声ガイドのベルリ&アイーダ、たのしそう。「アイーダお姉さんのたのしいトミノかいせつ」かと思ったらベルリくん事前勉強してるところもあって、微妙にチグハグなの楽しかったな~~~600円の価値あり!

・時間が足りない
たった5時間弱で全部見切れるわけがなかった。
半分行った時点で2,3時間くらい。Gレコに着いた時点で「あと30分で閉館でございます」アナウンス。まぁGレコは重大なネタバレがありそうだったからさっさか抜けようとしてたので、それでよかったんだけど……。
いやとにかく時間が足りない。ガンダム第一話とかフル上映してたからね。ほかにも名シーン集とかでずらっと並べてたりね。クリスマス直前の時期に「8歳と9歳と10歳のときと、12歳と13歳の時も僕はずっと!待ってた!!」「クリスマスプレゼントだろ!!カードもだ!!」を観れる!!

まだまだ見逃した面白部分は多かろう。別会場で観る人は朝一で入りましょうね。

というわけで

Gレコの極序盤しか見てない人間が富野展に突っ込むと脳が爆発する、そのほんの一幕をお送りしました。

本当は日曜日中に書き上げるつもりだったんだけど火曜までずれ込んじゃった。まぁ、気にしなさんな。

知らない世界、知らない価値観を一気に摂取できるってすごいね!

ひとこと:すごいね、で終わらせちゃいかんのよ。そら自分の世界を書け!!


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