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ああ見苦しい|『死にがいを求めて生きているの』

この記事は朝井リョウさん作、『死にがいを求めて生きているの』の読書感想文です。 #読書の秋2022 の企画に乗っからせていただきましたm(_ _)m

1、作品の技巧的な話

朝井リョウさんの作品は、現代人のモヤモヤとした思いの描写が、とても上手いと思う。

このモヤモヤは少なくない人が抱くものだけれども、あまりに普遍過ぎて、物語にするにはストーリー性に欠ける。なんて我儘な登場人物かと、読者が離脱する。
だから、多くの小説は登場人物に不遇な設定をつけたり、特殊な世界観つくることで、エンタメ性を確保し、「こんな境遇だったら、こんな風に葛藤するのも仕方ないよね」と共感させる。

しかし、朝井さんの作品はその装飾が適度だ。勿論、テクニック的なものが何もないわけではない。本書であれば、海族・山族という伝承、語り手が章ごとに変わっていく手法、時間の経過のさせ方、登場人物達の交錯の仕方、などのギミックや伏線がある。「体温がなくなっちゃう」といった印象的な単語の使い方もある。それでも、登場人物は”現実感”が失われることなく、モヤモヤした鬱屈とした心の叫びを、灰色の感情のままに描いていることに感嘆する。

2、作品の主題「何のために生きるか」

講評的なことを書き連ねたが、要は、ひどく共感してしまったのである。

何か使命が欲しい。
死なないでいい理由がほしい。
空っぽな自分なんてダメだ。

古くから命題に挙がる「何のために生きるか」というクエスチョンに対して、積極的な理由ではなく、消極的な理由から生きて藻掻く登場人物たちに共感してしまった。そして見苦しいと思ってしまった。悲しいと思ってしまった。でも登場人物も私もその穴から抜けられない。二重に見苦しい。

3、あとがき

今日も起承転結のない文章を書いてしまった、堂々巡りの文章を書いてしまったと後悔をする。堂々巡りは私の性癖、思考癖な気がする。

後悔しつつも、この難儀な癖のおかげで、本書をより至近距離で味合うことができたと、辻褄合わせをして、あとがきとする。


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