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〔アクセスしやすい開かれた宝箱〕#私が美術館にいく理由

はじめに 


参加しているメンバーシップ、オトナの美術研究会での5月のお題が「私が美術館にいく理由」ということで書かせて頂きます。 お題が出された記事を読んだ時、眠気が引っ込んだのですよ。自分は何故美術館へ行くのだろう?とすぐ考え始め、考えを巡らせることが楽しくなったのです。何故行くのか、深く考えたことなかったのですよね。導かれて、なんてことはなく、自分で選んで行ってるのですから理由はあるはず。改めて、ちいさな美術館の学芸員さん、今回のお題もありがとうございます。 本当に色々考えました。美術館に行く理由はもう「好き」しかないのですが、一言で言い切ってしまわなくても良い、っていうとめちゃくちゃ長くなります。語っちゃいます。が 、早々の結論。自分が出した美術館に行く理由は

宝箱の中に入るため

でした。イメージです。作家さんが作り上げた宝物(まさにそのまま、国宝もありますが)を見に行く、美術館そのものは宝箱で、作品は宝物、でも宝箱である美術館自体も建築家や施工主や技術者などの手によって作られているのだから宝物でもある。そして宝から受けた新たな刺激は自分の宝となる。って感じです。

とりあえず書き出してまとめてみようと思います。美術館にいく理由って自分にとっての美術館の魅力ってことですよね。自分にとって美術館って何なのか?何しに行ってるのだろうか・・・

美術館にいく理由

①到着までの道のりを楽しむ 小旅行の感覚


初めて訪れる美術館に限ってかもしれませんが、小旅行のように、美術館へ到着するまでの道のりが楽しいです。ツアー旅行に美術館も入ってた、とかだと連れてってもらえますけれど。自力で美術館まで到着する場合のお話です。交通手段はどうするか、最寄駅から歩く時の街の風景、美術館近隣のお店などなど。目的の美術館の近所に別の美術館があることが事前に分かっていたりすると、1日で両方行けちゃうかも?とか。両方行けなくても、次回またこの付近に来ることもあるかもしれない、とか。美術館のある街と自分との繋がりが出来るという可能性を感じます。

②外側と内側を愛でる


美術館へ入る前に建築物としての美術館を愛でる楽しみがあります。ザ・美術館でも、ビルの中のワンフロアーだけの美術館でも、とりあえず外観をジロジロと眺めています。(コワイ?)
美術館の内部空間は、美の術の館なので、どの美術館も築年数の差はあれど、綺麗にしている。そこはまたしても魅力的です。間違いなくキレイな美術館が好きなのです。

③パワースポット 非日常への誘い


館内に入ると、特に展示室に入ってからですが、その空間から非日常が始まります。日常からの逸脱。そこには作品の持つパワーが存在しています。作るまでのストーリーや出来上がったモノは強烈なパワーを発しているように思います。それを受け取るのはこちらもパワーが必要なのですが。パワーの相互変換というのでしょうか。ガラスケースとかに入ってても作品そのものが置いてあってもどちらもパワーありますね。触ってはいけない物、触れられないからこその荘厳さ、なのかも?と思いました。そして、そんなパワースポットである美術館で酸素カプセルに入ったかのように(入ったことないですが)パワーチャージされ、娯楽や癒やし効果もあるのです。

④推し活


美術館に行く理由のコアな部分です。好きな作家、作品を見つけるというのは超重要事項ですね。出会えた喜び、それはナニモノニモカエガタイです。また出会いたいと思うかもしれない、長い付き合いになるかもしれない。故人であれば、全ての作品を知ることも出来ますし、完成・未完成にか関わらず今後加筆されることのない作品に対して、持論や推測、はたまた憶測なのか、色々と考えを巡らせることができます。現存している作家さんであれば、新作やら作るプロセスやら、現在進行形で応援していくことができます。
ギャラリーにももっと足を運んで、最終的にアートコレクションなんかも視野に入れたいです。(資金はあるのか?)

⑤学習の場として


展覧会のテーマが気になって、みたい、知りたいという欲求が生まれて、実際みたり解説を読んだりすることで知識が身につきます。
年表なんかで作家さんの人生を知ることで多様性(作品のみならず作家さんの人生は面白い)を学べます。
常設展がある美術館だと、作品を確認して作品についての復習になります。作品にまた会えたね、と心の中で話しかけたり、そうそう、ココにあるある、と安心したり。
美術検定で、「知るほど、みえてくる」というキャッチコピーがありますが、まさに「みる力」を養うことができます。

作品を知り、作家やその時代・社会を知れば、作品からもっとたくさんのことがみえてきます。

美術検定より

最終的には、見巧者になりたい、です。

⑥学びを活かす、まねぶ


<1>美術館全体から生活のヒントを得る 非日常を日常にする
美術館内の展示の仕方、空間の使い方、壁、ソファ、備品、階段、トイレに至るまで、建築やインテリアの参考にしています。というのも、将来美術館みたいな家に住みたいという目標がありまして。いずれは生活感を無くしたミニギャラリーのようなミニマルな空間で過ごしたいと思っているので、参考にするための一つの材料として美術館に通っています。

<2>作家さんという人間からの学び 多様性を知る
歴代の作家さんや現代作家さんもそうですが、表現力が半端ないというか。作品はもちろんのこと、作家自身の背景とか人生ドラマを調査されたり公開されてる訳じゃないですか。オープンですし、こんな背景でこんな考え方をして人生を生きたんだ、とか生きてるんだ、というのを照れずに表現してくれている存在だと思っているので、人間の多様性を知れるのが本当に面白くて、私にとっては深い学びです。自分は美術作家ではないですが、こうやって文章を書いて表現したい側の人間なので、表現方法は自由である、というのを確認したい部分もあります。だから、結構noteでは自由にありのままに書いております。
より多くの表現があれば、より多くの価値観や可能性が生まれる。それが多様性なのかなって。
一つとして同じ作品がないことは、一つとして同じ表現はないという。数多くの作品をみたい、知りたいと思うのです。

<3>社会に対する意識 アーティストについていく
作品から時代背景も知ることで、歴史的な作品なら当時の社会を知ることや現代に置き換えて参考にできる部分もありますし、現代作家さんは社会的なメッセージを作品の中に込めていたりするので、現代社会の問題点を知ったり、提案されたりします。作品から自分の社会問題に対する、はたまた社会全体に対する意識が高められています。
環境保護団体が著名な作品を・・・とか美術界でのジェンダーの問題も考えさせられます。
アーティストは社会問題への解決策を考えてくれる存在、牽引していく存在で、社会をアップデートするために必要不可欠な存在というのでしょうか。そんなことをアーティスト自身が語っていたり書かれている記事を読んだりして、ふむふむって思います。アート作品は鑑賞者へ問いを投げかけてくれるし、それに答えたいと言いますか。そこから行動したいなって思うのですよね。

<4>子育てへの応用
書いててキリがないのですが、先ほどの<2>の多様性をさらに深掘りすると、子育てに繋がっていました。
今、先行き不透明な世の中とか言われていますけれど、正解のない世界で生きていくためには、表現方法は自由、自分自身のオリジナリティを持て!と子ども達に言いたい。正解なんかいらない、自分のやりたいことを見つけて、その道に向かって突き進めー!行けー!全力じゃー!と物事はそんなに簡単ではないのですが、どんな人生を歩むにしても、どんな仕事に就くにしても、自分なりの表現が出来た方が良いよね、って思います。

⑦ソロ活の練習、すでにソロ活 アクセスしやすい


美術館は年齢制限はないですし、子どもからお年寄りまで生涯学習できる場で、1人でも行きやすい場所なので、そういう意味でも開かれた場所だと思います。年齢層高めの人が多い展覧会もありますよね。後期高齢者になっても行けるかなと思って。そのために今から慣れ親しんでいる。体が不自由になった時に館内でモタモタしないように(笑)。美術館を全身で感じて、生きている間にずっと訪れたい。今は家族と連れ立って行くこともありますが、ほとんどは1人でいきます。展示を2巡したり、長時間滞在するのに付き合ってもらうのは申し訳ないし、1人で楽しめる遊びや学びとして最高!なのです。ただ、具体的な話をすると、家から1人でも行ける範囲に美術館がないと行けないですよね。もしくは、遠くても美術館にアクセスできるように元気に歳を重ねていくこと、でしょうか。

⑧自然への負けを認める+人間を愛でる=自己(人間)肯定感


ここまで来ると、ちょっとヤバイなと思いながら書いています。美術品って全てと言っていいほど、人工的なものだと思います。自然との共作の場合もありますし、画材は鉱物だったり土だったり有機的な自然が原料であることも多いと思いますが、結局は自然を超えられない気がしていて。自然の草木花土水などの美しさを超えることは出来ないのではないかと。アートが好きなのですが、自然の美しさを見た時に、この自然環境は人間の手では作れない、作った時点から自然ではなくなる、ということで、自然VS人工の関係を考えてしまいます。別に自分が何かを作る訳でもないのに偉そうなこと言ってますが。
越えられない山があるのだったら越えなくてもいい。素直に自然ありきの人間であることを、自然への負けを認めて(崇拝でも良いですが、ここでは一応勝ち負けにこだわってみたいと思います)、人間の作った世界を楽しもうよ、と思うのです。人間も美しいものを生み出せるのだから。いつまでも自然への劣等感を抱いていては前に進めないし、人間として生まれたからには、人間の良さを認めて生きていこうよ、と。ナルシストっぽい気もします。もしくはインドアの極みなのでしょうか。アウトドアも好きなのですが、まだ1人では楽しめなくて。

理由をまとめてみる

美術館にいく理由を⑧つ挙げてみました。①〜⑤までは表層的な理由でした。誰にでもわかりやすい理由かなって。⑥〜⑧までいくと深層心理というか、個人的な理由がかなり長々と入ってきました。なんだか病的?でも、noteではきっとこういう訳のわからないことも書いて良いのですよね!?

おわりに 


結局私にとって美術館へいく理由は、

「人間の作った作品という宝物を宝箱の中に入ってじっくりみるという、大切な行動であるということ。それは自分にプラスの影響をもたらしていて、自分の宝になっているから」

ということになりました。複雑な計算式は必要なくて、シンプルな足し算で「宝物+宝箱+宝箱の中で得たこと=自分にとってのお宝体験」です。「宝物+宝箱+∞」でも良いかも?エンドレスにプラスされていく感じ。
ずっと飽きずに美術館へいけたら良いなーって思います。まだまだ行きたい美術館は山ほどあるので、さあ次はどこの美術館へ行こうか?と考えるだけで楽しくなってきます。私の美術館愛は止まらないのです。


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