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【読書記録】ごはんぐるり

私の好きな作家さん、西加奈子さんのエッセイ。


エッセイって昔全然読まなかったけど、社会人になってからぼちぼち読むようになった。

今でも物語の方を手に取ってしまいがち。

でもたまに好きな作家さんのエッセイをめくってみれば、人間としてのその人が垣間見える。とても嬉しいし、自分と似たところを見つけた時なんかはたまらない。
逆に、それは私の人生に起きることはないだろう、とか、同じことが起きたとしても自分は絶対そうは思わない、感じない、みたいなのも、楽しい。

エッセイって、物語とはもちろん全然違う。
こんな素敵な物語描く人の日常、こうなの?みたいに思うこともある。
でもその人に起きたことを書いてるからといってそれがその人の全て真実ではないんだろう、という気もする。

こうありたい、という私であれない悔しさとか、自分のことを認められない虚しさとかやるせなさとかで悲しくなることもあるけど、そういう時にエッセイを読むと、物語とは違うもっと身近な感覚で勇気をもらえるというか、ちょっとそれがマシになったりする。
この人たちも同じ地球上に生きてる人間なんだなーみたいな (…失礼?)。

要は、どんな人でもこういう面があるからといってこういう人だと決めつけることができないんだ、って気付けるってことなんだと思う。

ひとくちにエッセイと言っても個性があって面白いので、もっといろんな人のを読みたいな、と思う。

もともとエッセイを読むようになったのは、たまたま手に取った江國香織さんのいくつもの週末がとても素敵だったから。
物語でもそうだけど、江國さんが描くとエッセイでも世界が少し神秘的なものになる気がする。
バスルームにこもっちゃう江國さんも好きです。

本エッセイで言うと、ぶうよぶうよに太った春雨を楽しみにする西さんとか、最高。
私はくったくたになって茶色くぬめんと寝そべっている鍋の締めのうどん、好き。勝手に仲間意識。

“食べる” というのは “生きる” と直結していて、生きるためのエネルギーを摂取する行為なんだけれど、逆にエネルギーを消費する行為でもあると思っている。
もちろん準備片付けとかもだけど、食べる、ということ自体が、ある程度のエネルギーがないとできない。
私は食べるという工程をあまり大切にできない人間だという自覚がある。
優先順位が低い。
というかちょっと苦手意識すらある。
食事中もできる限りドラマを観たり本を読んだりしていたくて、昔から行儀が悪いと叱られてきた。
私は米よりも物語を、活字を、食べたいんだ。

ただ、こういう本を読むと、食べる行為は楽しいものなのかもしれないなと思えたりする。

美味しそうな食べ物が出てくる話は大好物です。
実際食べるより美味しいし。
どれだけ食べても苦しくならないし。
活字の食べ物バンザイ。

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