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エッセイ|心にうつりゆく母の日のこと

「ありがとう」
それを伝える人がいない、初めての母の日でした。

いつも発信しているX(Twitter)のタイムラインを眺めていると、母の日にちなんだ投稿がとっても多くて

ほんわかと心が温かくなるもの、まるで懺悔のようなもの、母親の立場で〈かつての母の日〉を振り返るもの…
さまざま並んでいました。

その中で
〈お手伝い券〉をもらった思い出の投稿があって、ふいに年末のことを思い出したのです。

昨年11月末に母が亡くなり、やっと気持ちが落ち着いたころ
母がいつも持ち歩いていたショルダーバッグの中身を確認しました。

日記代わりに様々を書き込んでいた手帳と
ハンカチ、ティッシュ、何かに使えるようにと畳んだビニール袋
そして財布。

手帳には、生前の父を含めて家族で行った最後の食事会での箸袋や、一緒にドライブしたときに拾った綺麗な葉っぱ、天声人語の切り抜き、父や兄や私の写真。

そんなものたちが挟んであって

財布には、ずいぶん昔に父とふたりで旅行した京都奈良での写真と、兄の証明写真、母が5歳の頃に死別した祖母(母の実母)との写真、わたしが高校生の頃に渡した誕生日カード、

そして、小学生の頃に渡した〈お手伝い券〉がありました。

「そうだった、小学生の頃は母の日に贈っていたのだった」
それを使うことなく、大事に大事に何十年も持っていたのです。

あのころは、何で使ってくれないんだろう?って少し悲しくて
「おかあさん、使わないの?」
と聞いたら
「使うわよ」
そういって嬉しそうに微笑んでいたなぁ…それも思い出しました。

今となっては、母のその気持ちがとても分かります。
気持が形になったもの。大事にとっておきたいんですよね。わたしもやっぱり娘たちにもらったカード類は大事に大事にしています。


生前、最後となった母の日には赤い鉢植えのカーネーションを贈りました。

切り花よりも鉢植えが大好きだった母はそれを窓辺に飾り
「嬉しくて毎日眺めてるのよ」
といつも言っていました。

ところがなぜか、それがすぐに枯れてしまったんです。

「ごめんね、わたしボケちゃったのかしら。水をやり過ぎたのかしら。枯れてしまったの」
ある日悲しそうに、そう教えてくれました。たしかにそのころは脳梗塞の後遺症で短期記憶が怪しくなり認知症も始まっていて。

「もしかしたらわたしの選び方がよくなかったのかも」
と言うと
「そう?」
「うん。来年はお店の人に相談して元気なカーネーションをプレゼントするからね!」
母はホッとしたような嬉しそうな顔で
「楽しみにしているね」

それが果たされるはずだったのが、今日。
(日付が変わってしまったので昨日ですね)
今日は約束通り、我が家の窓辺に赤いカーネーションを飾って
母が好きだったコーヒーを淹れて
あれこれと浮かんでくる母の日の想い出とともに、母のことを考えました。

気持ちの行き違い、上手く伝えあえない親子ではありましたが
今となっては母への想いはおだやかです。

おかあさん、ありがとう。



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