春に縋る #創作大賞2022

 二十二時を三分過ぎても彼女は待ち合わせ場所に現れなかった。逃げられた、と春先のざらついた風に吹かれたような感覚になっていたが、幾度となく見た携帯のホーム画面から顔を上げた時に足早に駅の改札を通り抜けてこちらに向かってくる影を視界が捉えたので、明良は安堵していることを悟られないように作り笑いを向ける。カツカツとヒールが地面に響く音が近づいてきて、明良の元まで来て止まった。
「来てくれないかと思って、不安になっちゃったよ」
 明良の言葉に、「ごめんなさい。遅くなっちゃって」と軽く頭を下げた彼女は少しだけ微笑んでいるものの、その表情はまだ硬い。今日も相変わらず、膝下まである黒いタイトスカートにカチッとしたジャケットを着て、肩から重そうな鞄をかけていた。
 二週間前に初めてメグと会った時、あまりにも「ちゃんとした人」という印象で明良はいささか面食らった。彼女は、今まで自分の周りにはいたことがないタイプだった。自分みたいなヘラヘラした人間が簡単には近づいてはいけないような雰囲気にはまだ慣れないが、今日もこうして会えたということは相手もその気であると思って良いのだろうか。
「今日もすごいキャリアウーマンって感じだね」
 歩調を合わせながら、隣を歩くメグを見て明良は言う。メグは俯きながらやんわりと首を振った。髪は一つにまとめられているが、襟足やうなじの辺りにおそらくはわざと出しているであろう控え目な後れ毛の束が歩く度に揺れていた。着ている薄いグレーのジャケットも二週間前の物より薄手になっていて、お洒落な人、と腑に落ちたように明良は思う。今まで周りにいた女は皆アホみたいにブリーチとかインナーカラーとかで髪を傷めつけていたし、明良もそれをとやかく言える立場ではなかったが、とにかくこんなに繊細な髪形でいる人の隣を歩くことなんて、今まで一度もなかったのだ。
「お腹、空いてる?」
 コンビニの前を通り過ぎるところだったので、そう声をかけると「飲み物だけ買おうかな」と控え目な返答があった。二人で中に入り、明良が冷たい飲料の陳列棚からペットボトルの炭酸水を手に取ると、流れるようにメグがそれを明良の手から奪って、自分が手に持っている水と一緒にレジに置いた。
「それくらい払えるのに、俺が。メグさんの分も」
 彼女が頑なに明良にお金を払わせないのは前回会った時もそうだったが、それでも明良は一応ポケットから財布を出して言った。未成年であることは一言も言っていないのに、自分より若いというだけでそんなにお金がないように見えるだろうか。むしろ同級生の中ではお金持ってる方なんだけどな、と内心思いながらも、「ありがとう」と買ってもらった炭酸水を両手で丁寧に受け取る。
 大人しいけどちょっと変わってる女。それが前回初めて会ってから今日に至るまで、明良がメグに対して抱いている印象だった。彼女は明良にお金を出させないどころか、前回自分にお金を渡してきたのだ。縦長の白い封筒の中に、折り目の付いていない一万円札が五枚。それを早朝、明良がまだベッドで寝ている中枕元に置いて出て行こうとしたことに彼女が部屋を出て行く間際に気づいて、慌てて明良はベッドから這い出てドアにかけたメグの手を掴んだ。まだ、朝の五時過ぎだった。起きたばかりで働かない頭を必死に回転させて、「待って」と言って引き止め、封筒を返そうとする明良に対して、しかしメグは何かを告げただけで、絶対に封筒を受け取ろうとしなかった。そのままメグはドアを開けて出て行って、明良は一人ホテルの室内に残された。メグが言ったことを覚えていられなかったのは、きっと朝が早すぎたせいだった。もしくは、明良では理解ができない内容のものだったかの、どちらかだ。
 ただ、外がまだ完全に明るくなっていない時間に服装はもちろん髪も化粧も完璧に仕上げていたことだけは覚えていたので、メグがそのまま仕事に向かうつもりであることはわかった。
 予約をしていたホテルに着いて、チェックインを済ませる。案内された部屋に二人で入ると、明良は早速この前の封筒をメグに差し出した。
「これ、俺もらうつもりないんだけど」
 メグは一瞬だけ明良の手元に目を留めたが、やはりそれを受け取ろうとしなかった。
「どういうつもり?」
 見下すような視線を送ってみると、メグはゆっくりと上目遣いに明良のことを見た。カラーコンタクトで人工的に目が大きいわけでも、不自然なほどに睫毛が長いわけでも、瞼の周りがラメでキラキラしているわけでもなかったが、どこか憂いを帯びたその目に明良は惹かれたのだったし、メグの肌は綺麗だった。それは自分と同年代の女たちからは、感じたことのないものだった。
「気持ちよくしてもらったから、そのお礼だよ」
 表情を変えずに彼女が言って、その迷いのない口調に意思を貫き続ける気持ちが揺らぐ。同時に逃げ腰になりそうな自分を嫌悪しながら、そんなの女が男に言う台詞じゃないだろ、と頭の中で思う。痛くないようにする自信はあるけど、自分に女の子を抱く才能があるとは思っていなかった。ましてやママ活じゃあるまいし。
「それじゃあ俺が、お金がないからそういうことしてるみたいでしょ。それにこういうのは普通、男が女に向けてするものだよ」
「でも今はママ活だって」
「ママ活のつもりなの?メグさんそんな年じゃないでしょ」
 まさに頭に浮かんでいた文言を彼女が口にしたので覆い被さるように言ってしまった。メグが口を噤んだので、明良はゆっくり諭すように言う。
「対等な関係の、セフレでいたいんだよ」
 それでもメグは封筒を受け取ろうとしなかったのでそのまま無理やり手に持たせても良かったが、そうはせずに明良は椅子の上に置かれた彼女の鞄の中に封筒を入れた。鞄の中はノートパソコンと資料でぎっしり詰まっていた。
「シャワー、先に浴びていいよ」
 先の言葉の返答は待たずに明良はメグが着ているジャケットを後ろから脱ぐように促してハンガーに掛けた。メグが視線を落として浴室に向かっていったので、一人部屋に残された明良はベッドに座って溜息を吐いた。今日は夜の六時から九時の三時間しか働いていないし、学校に行ったわけでもないのになぜか強い疲労感がある。都会の街はこの時間でも騒がしくて、落ち着かなかった。眠らない街とはよく言ったものだなと思う。
 煙草が吸いたくなって、先ほどコンビニで買わなかったことを後悔する。一瞬メグが持っていないかと期待したが、まだ二回しか会っていないとはいえ彼女が吸っているのは見たことがなかった。気休めに、無作為にミンティアをいくつか口の中に放り込む。

「若い、よね」と彼女に言われたのは、前回初めて二人きりになった時だった。その言葉に一瞬どきっとして、しかしすぐにそれは「自分より」若い、ということだと解釈する。ところがメグの方に顔を向けると、彼女はどこか攻めるような目つきで明良を見ていた。
「…若く見えたら、何か問題?」
 表情を変えないように努めて、問いかける。まさか高校生であることはバレないだろうと内心思いながらも、メグの方からアプローチがあったあのアプリはユーザーを十八歳以上に制限していたものだったので、彼女が覆面の学校関係者や警察だったらどうしようと動揺していると、「未成年だったらセックスできないよ」とメグが言った。
 あまりにも躊躇なく彼女がその言葉を口にしたことに、また種類の違った戸惑いを感じながらも
「合意ならいいでしょ」
 とはぐらかすように言う。しかしメグは真剣な表情のまま、
「名誉を汚されたと思ったら、訴えてもいい。その時に合意じゃなかったと言えば、わたしは裁判で負ける」
 と冷たい口調で言った。
 明良は一歩遅れて自分が混乱していることに気づいた。高校生は大人と性行為をしちゃいけないって、法律で決まってるんだっけ。それって男の俺もその対象になるんだっけ。やばいな、と直感的に思った。この人は自分よりもはるかに世の中の多くのことを知っている人だ。年上で自分よりも人生経験があるから当たり前かもしれなかったが、それは同時に自分が何も知らない無力な子どもであると思い知らされているようだった。ひとまずわかったのは、メグの頭の良さは自分とは次元が違う、ということだった。
「何が名誉だよ。じゃあメグさんは自分のこと安売りしてないって言えるの」
 聞き慣れない言葉に理解が追いつかないまま、彼女の口を塞ぐために唇に唇を重ねる。一瞬メグが怖気づいたように離れようとしたので明良は無理やり腰を引き寄せて強引に舌を入れた。小さな口の中で、それでも少しずつ舌と舌を絡ませ合っていると馴れてるんだな、と思わずにはいられなくて、その場で彼女のことをめちゃくちゃにかき乱したい衝動に駆られる。自分がしようとしていることは、そんな堅苦しい何かで言い表されるような危険なことじゃない。淋しさと苦しさを紛らわすために、ただ誰かと触れ合っていたいだけだった。

 ぼんやり考え事をしていると、ヴーっという携帯の振動音が聞こえてきた。自分の携帯はそもそもバイブレーションも鳴らないようにしているので、ではメグの携帯か、と荷物の方に目を遣るとメグの物と思しき携帯は鞄の近くに置いてあったが、それが鳴っているわけではなかった。おや、と思って鞄の方に近づいていくと、どうやら鞄の中からしているようだった。十回以上鳴っても振動が止まらないので、しばらく躊躇った後、鞄の中に手を入れるとその時やっと振動音が止まった。明良は内心ほっとしながらベッドに戻り、自分の携帯を見ると時刻は二十二時半だったので、こんな時間に電話してくるとか―、と思わず顔をしかめる。私用の携帯は椅子の上に鞄と一緒に置いてあると思われるので、会社の携帯、だろうか。
 それからしばらくしてメグが戻ってきた。会った時よりも幾らか血色が良くなった顔を見て、「メグさん、鞄の中で携帯鳴ってたよ」と言うと、「ありがとう」と小さい声で彼女が言い、鞄の中から黒い手帳ケースに入った携帯を取り出した。それを数秒見つめた後、そのまま鞄からパソコンを取り出して机の上で開く。髪が濡れた状態のまま電源を入れたのを見て、冷汗が流れ落ちるような嫌な感覚が明良の背中をなぞった。
 サービス残業。
 脳裏に浮かんだその言葉から、何年か前に見たあるニュースの映像が想起される。それはある若い女性会社員が度重なる過労の末に自殺をしたというニュースで、その女性社員がかなり綺麗な顔をしていたからマスコミも騒ぎ立てていたというのと、自殺、という単語を聞くと過剰に反応してしまうほど、当時明良はそのことに敏感になっていたから、今でも鮮明に覚えていた。
 明良は立ち上がって、起動が始まったパソコンを上から閉じた。パタン、と音がして、投げ出すように向けられたメグの視線とぶつかる。
「だめ、開いちゃ」
 パソコンの上に置いた手に力を込めて、ゆっくりと言う。
「俺といる時は、仕事しないで」
 メグはしばらく黙ったまま明良のことを見上げていたが、やがて首を左右に振りながら言った。
「…すぐ終わるから。やらせて」
「ダメだって」
「ダメかどうかはわたしが決めるからっ」
 叫ぶような切羽詰まった言い方に、怒られたみたいに身が竦む思いがした。明良がパソコンから手を離すと、メグはゆっくりとパソコンを開いて、同時にまた起動が始まる音が鳴る。少し明るすぎると思うくらいの光がスクリーンからメグの顔を照らしていて、その人工的な機械の明るさに明良は眩暈を感じた。
「アキヨシくんが、シャワー浴びてくるまでに終わらせるから」
 キーボードを叩きながら、目線をパソコンの画面に向けたままメグは言った。
「ねえ―」
 明良はメグが座る椅子の後ろに立って、背後から肩を抱いた。その行為にメグが一瞬驚いたように手を止めたけれど、すぐにキーボードを打つのを再開する。湿った髪からは少しきついくらいの甘いシャンプーの香りがした。そっと首や鎖骨を指で撫でても、メグはもう手を止めなかった。
「メグさん、そんなに身体酷使しちゃだめ。倒れちゃうよ」
 キーボードを叩き続けるメグの手を止めたくて、自分の手を絡ませたい衝動をこらえながら明良は言う。このままではメグがいなくなってしまう気がして、もしそうなったらそれはきっと良くない理由で、だからそれが起きてしまうことが明良は恐ろしかった。メグだってこの時間にパソコンを開かないといけないくらい追い込まれているのかもしれないけれど、明良もそれと同じくらいの必死さでメグを止めたかった。
「大丈夫だよ」とメグが小声で言ったのを合図に、明良はゆっくりメグから体を離した。パソコンを見続けるメグの髪をかき分けて、額にキスを落とす。
「約束だからね」
 そう言い残すと、明良は浴室に向かった。
 浴室内は広くて、もちろん偽物だろうけれど床や壁は大理石のようなデザインで安いわりに綺麗だった。その高級な雰囲気になぜか居心地が悪くなって、熱いシャワーを浴びながらその気持ちの正体に頭を巡らせる。しばらくして、ああ、家に帰りたいのだ、と腑に落ちたように思った。しかし、明良の家とはどこだろう。もう何年も帰っていない自分の家も、希の家も、“帰った”ところで自分の気持ちは満たされない気がした。明良が帰りたいのはもっとずっと昔の、自分の家族ともここまで軋轢が生じてなかった頃で、もっと言うと彼が生きていた頃に、戻りたかった。
 シャワーの降り注ぐ音が雨の音に聴こえてきて、はっと我に返った。こんな場所でホームシックみたいになるなんて、どうかしている。雑念を振り払うように水滴を拭って顔を上げたけれど、その時ふと、希は大丈夫だろうかという考えが頭をよぎった。つい何日か前の、真っ白い顔でベッドに横たわる希は寝ているはずなのに肩で大きく息をしていて、相当体調が悪いのかあれからあまり学校にも行けていないようだった。希が事あるごとにあんな風に倒れて、身体がご飯を受け付けなくなったり、息がちゃんと吸えなくなってしまうようになってからどれくらい経つだろう。今でも時々、苦しそうな姿を見ているといつか希が死んでしまうのではないかと思うことがある。そしてぞっとするけど、彼もそれをどこかで望んでいるのではないか、とも。そんな地獄を経験するのを、代われるなら代わってやりたい、と思う。
 俺は大丈夫だから、と言い聞かせるように思った時、浴室内の鏡に映る自分と目が合った。水気を吸ったミルクティーみたいな色の髪の束の間からのぞく睨むような目つきは、到底年相応には見えない、と我ながら思う。しかし他人のことを言えないくらい自分も充分体が薄いし、肌の白さもいわゆる「男らしさ」というものからは乖離しているように思えた。頼りなかった。こんな自分に、何ができるというのだろう。
 溜息を一つ吐いて、浴室を出た。バスタオルを頭から被るようにして体全身を拭いていると、シャワーを浴びて血行が良くなったおかげか、少しだけほっとするような瞬間が訪れた。体から力が抜けて、疲れているのかな―と思った時、唐突に何かが込み上げてくる感覚に襲われて思わず立ちすくんだ。意識してなるべく丁寧に息を吐きながら、ゆっくりと落ち着くのを待つ。あまりメグを待たせてもいけないとも思い、それからしばらくして手早く服を着て明良はベッドルームに戻った。
 ベッドに腰かけていたメグの肩を前から押して、彼女を仰向けに倒す。そのまま明良もメグの上に覆い被さって、首元に舌を這わせようとした時、先ほど何とかせき止めたものがまた急にあふれ出してきた。人肌に触れたら、ダメだった。今度はもう止まらなかった。まるで意思を持ったように、目から何度も何度も流れ落ちて、あっという間に明良の顔は涙でぐしゃぐしゃになってしまった。
「―っ」
 息を吸う時に思わずしゃくりあげてしまう。それが小さい子どものようで、泣きながら明良はひどく嫌悪を感じた。しかしその時、メグの手がそっと明良の背中に触れた。もうこれ以上こんなに気持ちが激しくなることはないと思っていたのに、さらにまた堰を切ったように涙があふれてきた。
「…俺、弟が」
 仰向けに横たわるメグの体の下に手を回しながら言う。口を開けると中に涙が入ってきた。
「いつか、急に死んじゃうんじゃないかって、怖くて、」
 同じ人間の体から出てくるものなのに、どうして涙は血のような味がしないのだろう。希が吐いた血で、その周りがどんどん赤い海に染まっていく光景を、明良は夢で何度も見ていた。
「…助けて」
 さっきシャワーを浴びたばかりだというのに、寒気がしているみたいに身体がガタガタ震えていた。
「…誰か、希を助けて」
 背中にあったメグの手が首の後ろに回されて、明良がメグの胸に顔を埋めて泣いていると今度は頭を撫でられた。控え目な仕草だったけれど、今の感情をすべてさらけ出したいと明良に思わせるには充分だった。
「…うん」
 同調するように、メグが頷く。明良はもう片方の手をメグの顔に添えて、そのまま貪るようにキスをした。小さい舌に涙塗れになった自分の舌を絡めて、彼女が息をする瞬間も奪うくらい、躍起になった。余裕がなくなっていく中で、ふ、と甘い声が微かに漏れるのを聞いたら、明良は自分が欲情するのを止められなくなった。

 翌朝は目が覚めてもすぐには動けないくらい、体が重かった。たくさん泣いたせいで目が腫れていることが自分の顔を確認しなくてもわかった。それでも明良はゆっくりと起き上がり、その時になって初めてベッドに自分しかいないことに気づいた。はっとして、慌ててベッドから這い出た。カーテンを開けると、外は目が眩むくらい眩しくて、空一面快晴だった。
 その光景を見て、明良はしばらく立ち尽くした。雲一つない青々とした空と太陽の光は、今自分が置かれている状況と感情とは、見事なくらい不釣り合いだった。遅れて部屋を見渡しても、メグの気配はもうどこにもなかった。
 ベッドに戻って自分のスマホを見ると、時刻は九時過ぎだった。前回メグはまだ夜が明けて間もないくらいの時間に仕事に向かって行ったようだったので、もうとっくに出て行ってしまったのだとわかる。しかし、明良はそれに何も気づかず寝ていたのだろうか。そもそもチェックアウトの時間すら過ぎているはずなのに、まだ部屋にいても何も言われないのはメグが延長手続きをしてくれたのだろうか。明良がいつ起きても良いように。
 めちゃくちゃになった感情の赴くままに至った昨夜の情事を思い出すと、腹の底がゾク、とした。それをどうにか昇華したくて髪を掻きむしりながら、何かの間違いでメグが煙草を置いて行ってくれていないかと部屋の中を探していると、昨夜メグがパソコンを置いていた机の上に目が留まる。そこには昨日、明良がメグの鞄の中に入れていたはずの白い封筒が置かれていた。
 嫌な予感がして、封筒を手に取って中身を確認する。中には一万円札が十枚入っていた。前回からきっかり五枚、増えている。「気持ちよくしてもらったから、そのお礼だよ」というメグの言葉が思い出されて、やっぱりそういうことかよ、と明良はやり切れない気持ちになった。
 もらうつもりがないならこのまま放置していくという選択肢もあるのに、そうしないのはこれを返すという、次にまたメグに会う口実のためだと言い聞かせて、封筒をそのままポケットにしまう。
 また彼女に会いたいと、明良ははっきり思っていた。昨日、明良がどうしようもなく取り乱してしまったのを静かに抱きしめてくれた時の温もりが、忘れられなかった。だからこそ、朝起きた時に隣にメグがいないこの虚無感を、どう消化すれば良いのかわからない。出て行く時は、声をかけてよ、と思う。黙って俺を置いて行かないでよ。
 部屋を出る前に洗面所の鏡で自分の顔を確認すると、案の定目の下が腫れていてひどい顔だった。今日も夕方からバイトがあるが、幸いそれ以外に知り合いに会う予定はなかった。行先は決まっていなかったけれどひとまず希の家の近くまで帰ろう、と考えながらホテルを出る。駅に近づくにつれて、街は昨夜の賑やかさとは打って変わってスーツを着た大人たちが忙しなく行き交っていた。そこに、身分としてはまだ高校生の自分が目的もなくふらついているのは、やはりどうしようもない疎外感があった。そうなると、いつからこうなってしまったのだろうと思わずにはいられなくなる。尊敬する先輩と、自分を兄のように慕ってくれる後輩と、そのほかの仲間たちと、部活に勤しんで、家族とも平和に暮らして、ちゃんと学校にも行ける世界と無縁でない未来も、きっとあったはずなのに。
 この世界は皆平等に不公平だ。けれどその「不公平さの程度」は人によってこんなにも違う。もっと全員平等に、不公平だったらいいのに。そんな世界はもちろんないけど。
 太陽の位置が高くなり始めていて、照りつける日差しは暖かいのを通り越して暑いくらいだった。それに少しだけ吐き気がするような気分の悪さを感じながらも、明良は駅に向かって歩いた。


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