違いを楽しむ

この間初のツイキャスコラボ!!中学校の先生のhanaさんとの話。

違いを楽しむってテーマ(かなりあっちこっちに話が飛んだが)で楽しく話した。

障害に対しての差別や否定的な思考、そういうことがあるのは考え方の違いはあるにせよ、障害について知らない人が多い(もしくは知る機会がなかったとも言える。)ことが違いを楽しめない、理解できないことがあるようだった。

その障害について知ることも、みんなは「障害者」という存在は知っているがその人たちがどんな風に生活しているのか、自分とどんなところが違うのかなど具体的に知らないことが多い。

hanaさんは「伝える」のではなく「伝わる」をしないと、と言った。

学校や社会がどんなに障害者のことを説明してもそれはただ伝えているだけで伝わっていないのではないだろうか。「伝わる」ような場面が必要なのかもしれない。

実際わたしは、障害者と関わったことがきっかけで今の仕事に就くことにしたし、障害者という人たちは特別なヘルプが必要な人と感じた。その関わる機会がなかったら今も障害者に対して「よくわからない存在」という気持ちを持ち(あまり言いたくないけど正直、怖いという気持ちも少なからずあった)。

つまり、障害者ってこういう人、っていうのは聞いたことあって「伝える」ことはされてきたけど「伝わる」ということまでには至っていなかったってことだよね。

hanaさんは、生徒と一緒に毎年ボランティアに行くという。障害のある人や高齢者で何度も同じことを言う人、つまりは普段の学校生活を送っていると会うことのない人たち。

話を聞いていて、本当に羨ましいと思った。わたしは30歳過ぎて(いや、35歳過ぎか!)障害者と接することで「なんだ!みんな一緒じゃん!」って気づいて衝撃を受けたが、hanaさんの生徒たちは中学生の時に気づくチャンスがある。そこから高校や大学いったりしながら社会に出る。その経験を活かして福祉に携わるより、いろいろなタイプの人間がいることが「当たり前」と思って社会に出ていける。自然にノーマライゼーションはもちろん、インクルーシブな社会ができる。

普段仕事をしていてもプライベートでも、違う生活の仕方や考え方をしている人の意見を理解して共感しているわけだよね。それができるようになるにはやっぱり相手や自分と違う人(民族でも障害でもなんでも!)を知るしかない。自分とそっくりそのまま同じ人なんていたらホラーでしかない。

違いを楽しむというテーマだったが、人と違うことを否定的に捉えないことがスタートラインなのかもしれない。人と違うことを知ったり、人と違うことを楽しいと思えるようになると人にやさしくなれる。

でも、なんでだろう。どうして違い理解するとやさしくなれるんだろう。自分が人と違ってもそれを理解してくれるという安心感かな。

結局hanaさんとは90分ほど話したわけで(時間わからなくてあとで知って驚き!)、だけどわたしたちは障害のある人とのかかわりがあるからこんな風に考えるわけで、他の人はどうなんだろな~なんて思ったりした。


#こんな社会だったらいいな

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