見出し画像

公園

遊具はおろか木々もなく、見渡す限り干からびた地面が広がるばかりの純然たる荒野でしかないが、唯一、朽ちて原型を無くしたかつてベンチだったと思しききものがあることから、この場所は人々から「公園」と呼ばれている。そして朝から絶え間ない徒労に苛まれ、一年ほどの長さを感じる午前中を過ごした私は、とにかくどこでもいいので腰をおろしたかった。この町には座る場所がない。それはたとえ物理的に座ることが可能な場所であっても、そこにはその土地を所有する者からの見えざる視線があり、どこを探しても誰のものでもない場所などはなかった。厳密に言えばこの公園ですらも、ここを利用する者たちの間での不文律によりまったく自由にしていいエリアなどはないのだが、しかしこの炎天下は屋外で過ごすことそれ自体の価値を下げ、人々の持つ占有欲を曖昧にし、結果としてこうして誰からも見向きもされない自由な空間を生んでいる。しかしこの日陰の一切無い公園が最悪であることは私にとっても変わらず、座りたい欲と、こんなところでゆっくりしたくない欲は、頭の中でせめぎ合った。せめぎ合いながらもしかし、考える気力をなくした私の足は無意識に朽ちたベンチへと向かい、ついにこの公園の実存たる部分に腰をおろしたのだった。最悪だった。あらかじめ最悪を予想していたので本当に最悪になることはないだろうとたかを括っていたが、普通に最悪だった。日差しは直に痛覚に刺さり、この炎天下にも関わらず尻の接触部はなぜか湿っていた。見ると、腐った木の隙間に夥しい数の微小な虫たちが蠢いており、さらにそれを捕食しようとする甲虫たちがその上から群がっていた。加えて、臭い。鼻を近付けたわけでもないのに、ただ座っているだけで煮詰めた汚物のようなにおいがする。そしてこれが一番信じ難いことなのだが、私の体は確実に休まっていたのだった。身体は喜び、脳だけが最悪を認知している。脳だけが我慢すればいい。ジーンズの縫い目の上に微小な虫が移動しているのを見つけた。おそらくもう既に何匹かは生地の中に侵入しているのだろう。脳が我慢すればいい。身体が無ければ脳は何も出来ない。脳が我慢すればいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?