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失ったら得る

「それを得るために、何を失うのか選ぶのはいつだって自分自身だ。気づかなかったなんて通用しない。」

これは湾岸ミッドナイトのあるメカニックの言葉です。

何かを得るためには、何かを失う必要があるのか?何かを得続けることはできないのでしょうか?考えさせられます。

もしそうなら僕らはいわばコップに入った水なのかな。各々が持つ容量以上のものは受け取ることができない。
自分のコップの容量を超える水が注がれるならば、溢れる。得たら失う。

でも裏を返せば、失ったら何かを得ることになるということでしょう。失ったら得る、です。

そういえば最近は、失ったものばかりに目を向けがちでした。失ったのは、自分にとって大事な何かでした。

同時に、失って得たものもたくさんありました。得たものには、苦しみや悲しみも含まれます。

苦しみや悲しみという負の感情には本当に飲み込まれそうになります。
自分を客観視すればそういった感情から逃れることができ、頭はスッキリするのかもしれません。忙しくしたりして、自分を忘れることで、単純にそういった感情から逃げることもできるかもしれません。

でも、自分を遠くからみればみるほど、逃げている感覚を感じたりもします。
苦しみからは逃れることができるかも知れないけれど、何か大事なものを更に失う事になるのではないのかという感覚があります。

苦しみを感じ切る。
消化する。苦しみを得切る。
得たら失うのなら、苦しみを得た先には失うものがあったりするのでしょうか。
何が失われるのでしょうか?
それがいわゆる成長なのでしょうか。

とにかく、得る事になったもの、全ては無理かも知れないけれど、出来るだけ気づける自分でありたいです。

気づいた後には何をするのか。
頭でっかちにならず、自分の気持ちに乗ることが良い選択になるのかな。


「それを得るために、何を失うのか選ぶのはいつだって自分自身だ。気づかなかったなんて通用しない。」
続けるなら、
「それを失ったとき、何を得ることになったのか。それに気づくのも自分自身。」

という事にします。

自分にとって都合の良いもののみを選び、みることのできる人が幸せそうに見えたりもします。
無意識でそうしている人も沢山いるでしょう。
見たくないものは見ないし、関わらない、逃げる。
そうしたいと思う時もありました。でも、何だか違和感を感じます。
後に振り返った時、山積みになった失ったものをみる事になるのは恐ろしいし、取り返しのつかない事になるような気がして。

だから、得る失うの波を見続け、いかにのれるか、のりこなせるかを探っていこうと思います。

Have a great day.




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