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本心

救いたいと思うとき、本当は救われたいのかもしれない。

本当に救いたいのではなく、「誰かを救った」という実感が欲しいのかもしれない。

優しさをアイデンティティにして生きていたら、そこに本心と暗がりが混じって、何が優しさで本当の優しさとは何かが分からなくなってきた。

何度も言うが優しさは利用される。
信じた数に比例して、利用される機会が増えていくことにも気づいた。

利用されることに気づきながらも、嘘でも「ありがとう」が欲しかったのだと思うし、
はたまた、いつかそれをまっすぐに受け取ってくれる人を探していたのだと思う。

沈黙か、共感か、与えることか
自分の優しさは方法によっては武器になり得るかもしれない。
そう思うと怖くて仕方ないのだ。

人を傷つけるのがいちばん怖いし、
つまりは 「人を傷つけた自分」になるのが怖い。

相手が何を望んでいるのか分からないから、自己満足の優しさで終わってしまう。

今までの自分の思考も全て自己満足な気がして苦しくなる。


歩幅も呼吸も温度も何もかも違っても
解りたいと思う
このわがままを優しさと捉えてくれる人こそ
きっと優しい

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