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わたしの今年

最近すごくげんきだ

ここ3年間のなかで、1番げんきかもしれない。

夜に感傷的にならなくなったし、嫌いだった朝に目が覚めるようになった。
週に1回行ければよかった学校には週に4回行けるようになった。メールは確認するようになったし、部屋が汚いときに「汚い」と気づけるようになった。

当たり前かもね、でも私の世界では当たり前じゃなかった。


去年の今頃は、人生で1番自分のことが嫌いだった。
視野が狭くて不器用で思い通りにならない子供で未熟な自分を、辞めてしまいたかった。

未熟な自分がその未熟さ故、気づかないうちに他人を傷つけると思っていた。怖かった。
でも今考えると その未熟さで1番傷ついていたのは自分だった。

その傷が癒えることのないまま今年が始まった。
あっという間に当たり前のように、春が過ぎ夏を終えた。季節というルーティンに乗っかったまま この感傷を抱えながら今年が終わるのだと思っていた。

しかし、最近になって急に
心の暗い部分が照らされているような気がする。

溜まっていた洗い物の汚れが流れていくように、
プールの後のシャワーのように、
さわやかな
なんだか そんな感覚。

私の中での大人になりたい は、なんなのか考えた。
私は、大人になって 半強制的に社会の歯車になることで自分の欠陥から目を背けられると思っていたのかもしれない。

なにか「できる」「役に立つ」という実感で、
自分の凹んだ部分を埋めようとしていた。

実際欠陥なんて付き物でずっと向き合いながら生きていくものなのだと思うが
その覚悟を得るまでに長い時間がかかった。

陰りを持ちながら生きることは苦しい。
陰だった部分が照らされているような今の感覚に安心を覚えている。


また陰りは生まれるかもしれない。陰りがあった事実も消えない。
変に曲がって考える自分の癖は治らないかもしれない。

でも、今までの時間を否定したくもない。
どうしたって戻ってこない無駄に見える3年間は、今のために、今からのためにあったと言いたい。

そのために来年を生きる。
私を見放さないでいてくれた、ひとに、あたたかいことばに
本当に感謝をしている。

私もそういう人間に近づきたい。

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