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【努力考察】結果への期待と挫折と

こんにちは!ご覧いただきありがとうございます!


先ほど脚トレ後に鶏むね1枚を平らげた-Utaku-です

(∩´∀`)∩ワーイ


若干脱線しますが,むね肉は基本的に低温調理で茹で鶏にしていただいてます。

手順は以下の通り

1.湯を沸騰させる
2.沸騰したら皮を取ったむね肉を入れる
3.沸騰が一度収まるので,再び沸くまで待つ
4.沸いてきたら蓋をして火からおろして,
  1時間程度待つ
5.完成!!

この4番で仕上がりの柔らかさが決定されます。


これがですねぇ~
長すぎると本当にボソボソになります笑

そういう時は,心を無にしてただ噛んで飲み込んでます。


でも鶏さんへの感謝は忘れていませんよ!!
(/・ω・)/


とりあえず今回の茹で鶏は柔らかく大成功でした!



++++++++++++


まあ,今日食べた鶏の話はここまでにして笑

先日,twitter上の質問箱でこのような質問を頂きました。

挫折を経験したことはありますか?
乗り越え方も教えてください。

私のような一般人にご質問を頂いていつも感謝しております
m(__)m


結論から申し上げるともちろん『あります』。


もはや最近簿記2級に落ちましたので笑

「あんなに頑張ったのになぁ」

とか

「朝活してまで勉強したのに無駄だったな」


みたいな感情を抱くことはありました。

↓簿記直後の記事です


ではこのようなマイナス感情と私はどう向き合っているのか?


今回は,

『私が挫折をどのようなものと捉えているか?』

についてお話いたします!!


前回の努力考察はこちら↓


1.挫折の全射性への過度な期待


第1に,挫折とは努力と結果が一対一対応していることに対する期待から誘発されると考えています。


以前のnote(比較的人気なさげな記事です笑)で,『継続は力なり』について考察したときに言及したのですが,私は

あらゆる努力は何かしらの結果に結びつく

と考えています。


ここで,”何かしらの結果”が重要です。


上のnoteと同じ例を少し改変してご説明します。


下の図は,継続集合(やってきた努力)と力集合(得られた結果)の対応を示したものでした。


継続は力なり


そして,対応関係は

対応1:英語の単語帳と数学問題集に取り組み,
    定期試験でよい点を取った
対応2:毎日柔軟をしてカポエイラがうまくなった
対応3:カラオケでよく歌の練習をしていたら,
    文化祭でバンドを組めた

となっていました。

これはあくまで自分が行った努力と結果が結びついてる図ですが,

努力と結果の対応』から『努力と目標の対応』と変えたらどうでしょうか?

つまり,

対応1:英語の単語帳と数学問題集に取り組み,
    定期試験で90点以上を取りたい
対応2:柔軟をしてカポエイラをうまくなりたい
対応3:カラオケでよく歌の練習をして,
    文化祭にバンドで出場したい

のように書き換えます


さて,これによって継続と力の対応を示していた線は,努力と目標の対応を示すものに変わりました。


努力と目標


変わったのは図のX集合とY集合の意味だけではありません。

継続と力の集合であったら,

『とある継続を行った結果,ある力を得た』

の時系列ですが,


努力と目標の場合は,

『とある目標を達成するために,ある努力を行う』

のように,X集合とY集合の前後関係が逆です.


では,この目標が達成できなかったとしましょう。

挫折


数学をちゃんと勉強していたα君大ショック!

もう次回から数学の勉強はしないと心に決めてしまいました。

「どうせ頑張ってもしょうがないや」

と思ってしまう瞬間ですね。


努力の存在意義が目標を達成するところにあったわけですから,

目標が達成されなかったことがそれ即ち,努力の意味が失われるということになるわけですね。


前述の通り,『継続は力なり』と比較すると,『目標達成のための努力』は,結果を得ることが先行しています。


よって,目標を達成することを期待して努力を行うわけです。


ですから,”自分が望む結果”が得られずに目標を達成できなかったとき,自分の期待が裏切られること,すなわち努力の否定=挫折となります。




2.対処法 ~質と量~


この,自分が望む結果を得ることを期待して努力を行って,それが達成されなかったら努力を無意味に帰す考え方は『結果論派』であると言えます。

結果が出なかったら何も意味がない

という考え方ですね。


対して,『過程論派』

結果を得るために努力した過程こそが大事

という考え方もあります。


私は圧倒的に『過程論派』ですね。


資格の勉強をしていると,どうしても

・めちゃめちゃ勉強して合格

・最低限勉強して合格

だったら後者のほうがいいと考えがちです。

なにしろ結果(資格の合格証)だけ見たら一緒ですからね笑


でもそれ意味ありますかね?

実際に資格を持っていることを期待されて実務に生かすとき、圧倒的に苦しんで勝ち取った前者のほうが生かせると思います。

それは何にも得難い経験ですからね。


また,”期待した結果”が得られなかったときに,『結果論派』の考え方では努力がすべて無意味となってしまいます。


でも結局のところ結果が得られなかったのはしょうがないと思います。

おそらく,その努力の過程では過去の自分がその時ベストと思っていたことを全力で行っていると思います。


ですから一度は得られなかった結果を得るためには,質と量の二つの対処法しかありません。

【質:その時にベストと思っていたことが
    間違っていた.別の方法を考える.

【量:そのときに全力を出せていなかった.
    同じ方法で密度を増やす

多分前者は一度失敗しないとわからないことです。

それが分かるという意味でも,結果が得られなかったとしても過程は否定されるべきではありません。


後者については,自分の甘さが残っていた場合ではないでしょうか?

真の意味で費やせる時間を全て費やしていたと自信を持てるのであれば,それ以上の全力は出せないので,【質】のアプローチを取らざるを得ません。

でももう少しできたと思うのなら,ベストと思っていたことをより全力で取り組めばいいと思います。


ちなみに,簿記2級については試験を受けた感覚から,圧倒的に練習不足を感じました。つまり,【量】のアプローチで練習問題を複数回解こうと考えています。

(”試験を受けた感覚”から対処法を選ぶのも,過去の勉強の失敗から研ぎ澄まされたものです。失敗が生きています。)


3.まとめ


私は,挫折というものは,

『目標を得るための努力』

に付いて回るものであり,


”自分が望む結果”

を見越して努力して,結果が得られなかったときに発生すると考えました。


でも,失敗したとしても,

失敗したからこそ【質】と【量】のどちらのアプローチで対処すべきか

が分かります.これも得難い結果であり知見です。


つまり,”自分が望む結果”が得られずとも,

努力を実行することで”何かしらの結果(知見)”が得られます。


ですから,すべての努力からは何かしらの結果が得られるのです。


この考え方が,

私の座右の銘である『Pain, gain』にもつながります.


ちょっと最近精神的に参りそうになることがあったので思考の整理として書きました。

すっきりしました笑


To be continued ぅぅぅ~~


(参考)Pain, gain





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