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人付き合いの壁

友達の数の少なさで悩んだことは無いものの、親友は誰かという自問には幾度となく頭を悩まされてきました。

「自分では親友と思っていても、相手からすると、自分なんてそこまで大切な人ではないんじゃないか」などの憶測が頭の中に飛び交い、最終的には「こんなに考えるくらいなら、やっぱり自分には親友という存在がないんだな」といった考えに落ち着くことがほとんどでした。

どこまでが友達で、どこからが親友なのか。

知人は多くいますが、実際に友達のラインを超えている人の数は、世間と比較するとかなり少ないです。

私に対して心を開いてくれた人は友人だと勝手に思っているので、本当ならもっと多くの友達がいてもおかしくないはずです。

でも実際は、ほとんどの人は私の防御態勢に気づいているのか、または私が相手の防御の堅さに気づくのか、お互いにあと一歩ではなく、あと五歩くらいのところで止まってしまい、それ以降の付き合いが続くことはありませんでした。

一時期、こうしたことから交友関係の狭さに悩んでいる時期もありました。

悩みから解放されるために図書館にこもって対人関係の本を読み漁っていたものです。

とはいっても本に魔法のような効果があることはなく、本を読むことで役に立つことも少しは吸収できたものの、根本の悩みが解決することはなかったです。

その後も、友達作りをどうするかについては思考に思考を重ねてきた結果、「たとえうまくいったとしても、お互い距離感を気にして付き合うことになって、しんどいだけだと思うよ」という考えに落ち着くことになりました。

なぜなら、なんのきっかけもなく仲良くなった友達全員に「初めからお互いに距離感を感じなかった」という共通点があることを見つけたからです。

相手も人見知りぎみであったり、不思議ちゃんのような雰囲気を持っていたことにも起因しているのかもしれませんが、会った瞬間からゼロ距離での、会話ができていました。

「類は友を呼ぶ」ではないですが、最終的には似たような感情を持った人同士が惹かれ合うようになっているんだと思います。

あれこれ本を参照し自分の考えを無理矢理、世間一般に通用するように変えるよりも、「この人とはなんだか分からないけどうまくいきそう」といった直感を大切にすることの方が私には効果的でした。

大学4回生の時にこのような自分に合った考えに出会えたわけですが、それからというものの年齢や性別に関わらず簡単に友達つくりをすることができるようになりました。

それより前に抱いていた「どんなタイプの人とも仲良くできるようにならないと損をする。だから苦手な人とも仲良くしなきゃ!」という固定概念から解放されたことが一番の原因だと思います。

苦手な人との付き合いを無理矢理しているうちは、疲労が尋常でなく、うまくいかなかった度に、人との関わりを全くしなくなるほど落ち込んでいました。

しかし、「気の合わない人との付き合いを無理にしないでいい」と分かった途端、「当たって砕けろで、ダメならダメでいい」と思えるようになり、友達作りが信じられないくらい楽になりました。冒頭で述べた「親友とは誰か」という質問ですが今となってはわざわざ考える必要のないものになりました。

友人の数こそ少ないものの、それらの友人のみんなが、親友と呼べるほどに気の許せる存在だからです。

もちろん社会人になってからは、仕事をする上で苦手な人と一緒に過ごす時間が増えましたが、それでも「無理をしてでも付き合わなくちゃ」という考えに縛られることがないので、以前のような気持ちの落ち込みはほとんど体験することがないです。

フリーの仕事をするようになってから、自分から声をかけて営業をする必要がでてきました。

いくら仕事とはいえ割り切っても、皆が皆同じ性格ではないので、疲れることもあります。

まだまだ割り切った考えをすることが苦手なので、どうすれば楽になれるか、これから考えていきたいものです。

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