DJガウディとハーレムの夜

自分は好奇心が旺盛な性格であると思う。

そしていつも運が悪く、たまに運が良いと思う。もしかしたらそれは皆かもしれないけど。

アメリカ旅行では宿をいくつか転々としていたのだが、そのなかのある宿についての日記を、ディアビーコンに向かう車内からお送りする。

ニューヨークではAirbnbを使って宿を探した。あまりお金がなかったし、なにより安く泊まれるに越したことはないからだ。

場所はマンハッタンの北側のエリア。マンハッタンのホテルの相場から考えるとあり得ないほど安く泊まれる場所を1件発見し、予約していた。写真で見る限りはとても綺麗ではなさそうにしろ、、とにかく安かった。気になったレビューに、「まるでホームステイをしているようだった」とあり、どんなものかと想像を膨らませていた。

私が重い重い荷物を引きずり、さまざまなお兄さんに助けられながら向かうと、そこはセントラルパークからほど近い、黒人さんが多く住むエリアに家はあった。約束通りインターホンを鳴らすと、これまた陽気な男の子、ガウディーが私を迎えてくれた!

ガウディーはなんでもDJらしく、毎日朝方まで部屋のターンテーブルを回し続けることをこの時はまだ知らない。

部屋はとなりの部屋を貸してくれた。個人部屋ではなく、その部屋も仕事で使うそうだ。ガウディーお母さんが同居していて、お母さんはスワヒリ語を話していた。
ガウディーが夜、いまから仕事に行くけどチカも来るかい?ハーレムではホットなクラブだよ。今日は俺が回すんだ!と言ってきた。
もちろん!と答えて、ガウディと共に夜のハーレムへ繰り出した。その日はとてもとても疲れていたけれど、到着したクラブではアジア人女子が珍しいのかプリンセスばりのもてなしを受けることとなった。
日本で言う地元のノリっていうか、仲間みんなで楽しもうという空気感と、エナジードリンクの香りでエネルギッシュな夜を過ごした。

お母さんの話す言葉は全くわからなかった。
でも会話の中で、家の外の黒人さんたちの話をしていることはなんとなくわかった。家の外には黒人さんの大人から子供、赤ちゃんまでもが夜中までたむろしていて、激しい話声といかつめのヒップホップが鳴りづけていた。

私は窓の外はいかつめのヒップホップ、家の中は24/7ほぼクラブ状態の空間にしばらく居座っていた。

とはいえ人は寝られるものは寝られるし、実際ガウディーもお母さんもめちゃくちゃ良い人だった。彼らとたくさん会話をした。私が広島の出身だというと、あの戦争のことに強く興味を抱いているようだった。私はWWⅡのミュージアムに行ったばかりであったし、アメリカに住む人達の関心の高さにとても驚いた。おじいちゃんもおばあちゃんも、当時の経験者であるが元気であることを伝えると、少しほっとしているようだった。

これも仕事のうちなんだ、と言いながら朝までプレイし続けるガウディーの音楽を聴きながら、私は眠っていた。ホテルに泊まるよりもずっと楽しい3日間だった!

追記
滞在していたエリアは現地の人でも近づかないで有名な場所だとのちに出会う友人が教えてくれた。生きてるだけで感謝。面白い経験をありがとうガウディー。


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