Di(e)ry②

「結婚しました」
「恋人ができました」
「昇進することができました」
「契約することが出来ました」
「グランプリを取ることが出来ました」
「デビューすることが出来ました」
「卒業・入学しました」

これらを伝えられると、おめでとう!良かったね!すごいじゃん!って沢山お祝いの言葉や、嬉しい言葉をかけられるだろう。


こんなこと言われたら私だって嬉しいし、褒められて嫌な気はしない。

だけど、これらは「結果」であり、大体の出来事は「結果」によって、良いのか悪いのか判断される。
「結果」が悪ければ、それなりの評価を受けるだろう。

「結果」を出すために今まで積み重ねてやってきた「過程」については評価する際に見向きもしない。
例えば、恋人が出来ましたと言われたとする。喜ばしい事だから、おめでとう!って一言をかけるのが一般的だと思う。だけど、その一言をかける時に「過程」も見て、「この子と恋人になる為に声かけて、積極的にデートに誘って、好かれる為に努力して、勇気出して告白したもんね!本当に今までよく頑張ったよね!ここまで一生懸命頑張れるなんてスゴイよ!」
なんて言う人はどれだけいるのだろう。

それまでの過程を知っていたり、相談受けてたり、話を聞いていた人はそう言うかもしれない。だけど、そんなのは数人であり、大抵の人は知らないから「結果」しか見向きもしない。


それを「幾ら頑張っても、世間は結果でしか判断してくれない。これは仕方ない事だ。しょうがない事だ」と言う。



私もそうだと思うし、結果しか見てくれないのは仕方がない事だとは思っている。

そんな私のすぐ隣に、そうは思えない小さな私もいる。結果だけで評価される事に納得いかないって言っている私が。

これを読んでくれている方々に問いたい。


「これは、自分や世間に対する甘えなのか?」


私は、普段アシスタントとして仕事をしている。会社の中の立場は1番下の方で、上には沢山の人がいる。上の人たちよりも出来ることは限られているし、雑用を任されるのもしばしば。下にいるなら当たり前の事だ。
社内の中で、社員全員がが出来ないといけないルールが幾つかあるのだが、正直上の人たちは守れてない人が多いし、私の方が出来ている事が多い。
自分の仕事が終わったら、他の人の仕事を手伝ったりもしてる。仕事の手が回らず、「この人の仕事手伝っておいて」ってお願いされ、一生懸命手伝っている。
休日出勤もしばしばしている。


上記に書いたことを「こんなにも一生懸命に頑張っているのに、何で私は評価してくれないの?」って思ってしまう。
他の人は、たくさん評価されていて、私は今まで評価された事が一度もない。
ちゃんと結果を出せていない事もあるけど。


結局、私は過程も一緒に評価してほしい。褒めてもらいたい。結果でしか評価出来ないし、それは仕方ないと言われると、腑に落ちない。


もう一度問います。

「これは、ただの甘えなのでしょうか」

#日記
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