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いろ と おと と じぶんごと 

 zineを売るイベントに参加してきました。疲れと酸欠で頭がズギャンズギャンしてる…酸素とステキなzineたちを巡ったデスゲームだった。

 拙いものではありますが歌集を2種類作って(休日は卒研系、みずたまりは趣味)、22年生きてきて初めて自分の言葉に値段を付けて、数冊知らない誰かに買ってもらいました。言葉に値段がつくって不思議な感覚…他愛のない友人との会話も独り言も、SNSの呟きだってやりようによっては商品になり得ることに驚いています。もし言葉を生業にしている人になったら(なることはきっとない)、値段のつかない場面で言葉を必要以上に晒すことは勿体無いとか思ってしまいそう!

 このイベントでは、私のことを一ミリも知らない人でも、驚くほど他人である私の歌に興味を持ってくれる人がいるということがすごくすごく嬉しかったです。2冊とも結構ページ数が少ないのに、じっくり読んでくれた人も結構いて、ニヤニヤ止まらなかった…

 このイベントの直前に1年生の授業にTAとして参加してリソグラフの歌集「休日」を紹介させていただく機会をいただいたときも、さささと簡単に作った今までの歌集と比べて、今回の歌集が一番人に共感してもらえた手応えを得られました。自分の生活を詠んだ歌が第三者の実体験に基づいた記憶と結びついて共感してもらえた経験はとても貴重かもしれない…

 こんな感じに共感してもらえたのは、私自身が短歌を詠むことに慣れてきたということ、他者に共感してもらえるような歌を詠みたいと思い始めたということもありますが、短歌やリソグラフ印刷といった、音と色が限られた方法でどんな表現をするか、色々試しながら模索していった結果であると考えています。

リソグラフをやっていく

 当初は短歌にまつわるいろんなものをたくさん作るぞ〜と私の中の創作ヤンキーが暴れまくり、どうしたらいいのか…?と頭のなかが大渋滞していましたが、今後の制作もリソグラフの表現に絞ることにしました。

 今回初めてリソグラフで歌集を作ってみて、インクの数が限られているリソグラフは、三十一文字と音数に制約がある短歌ととても似ていることに気がつきました。制約の中で表現するということは、その中でどうやって表現や世界を広げていくか、どう自分らしさを投影していくかというところに面白さがあると感じています。初めはリソグラフは兼ねてからやってみたかったし、面白いかも❗️くらいの気持ちで手を出しましたが、短歌とリソグラフに「制約」という共通点を発見することができたのでした。この制約があるからこそ、らしさや情景を鮮やかに描けると実感しております。散文や従来のカラー印刷では表現の幅が広がりすぎて、本当に表現したいものを取捨選択することに難しさを感じますが、制約があるからこそ本当に描きたいものを描けると考えているわけです。

 とはいえまだ「制約」くらいしか共通点を見つけられていないね…リソグラフで歌集や歌にまつわるものづくりを続けながら、2つの相互関係をもっとわかっていきたいと考えています。

 また短歌に限って言うと、作り手によって広げられた世界を読み手が思い思いに受け取り、噛み砕くことで読み手自身のものにできるというのが短歌の良さであると感じています。一方で、広告デザインなどの印刷やネットで大量に世間に広がっているグラフィックデザインは、作り手の文脈が不透明なものが多いのではないかと考えました。私は人と周りの環境との相互関係である環世界と短歌をテーマにして卒業研究をしていますが、「作り手が見える」ということは、私の研究においては、作者や受け取り手が作品や歌の中に描かれる世界とどう関わっているかという環世界がわかるということでもあると考えます。

 これらのことから、短歌と色や形のデザイン表現には、作り手である私が1人称で作った作品を受け取り手が人の作品として2人称として受け取り、さらに受け取り手が各々作品を解釈することで2人称として受け取った作品を1人称として自分のものにしてもらい、それを作者である私が観測することで、互いに環世界を知るという活動を行なっていきたいと考えています。

 さら〜と書きたいnoteなのに、難しい内容になってしまった…今後はリソグラフでポスターだったり受け取り手が自分で絵と歌をカスタムできるようなリソグラフの歌集を作ってみたりして、言葉と音の短歌と、色や形・構成のリソグラフによるデザインがどういう影響を施し合うのかを知っていく活動をしていきます。
 間に合って〜!


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