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後進でも すすんでる

じんわりと夏です。朝4時入眠、8時半起床、昼間眠すぎて5時間仮眠みたいな人間らしからぬ日々です。無意味なルーティーンやめて、ここらで一旦人間に戻りたい、、

未来大の長屋にお邪魔した上に、椅子に落書きして帰ってきた…お邪魔しました…!

するか、後進

4月から3ヶ月がすぎ、来月は卒研中間発表…ですが、ぼんやり考えていた卒研の内容から距離を置こうと思いまして、再びスタート地点に後進…して本当に自分がデザインを通してやってみたいこと、考えてみました。

デザインを通してやりたいこと、それは短歌と、たくさん表現すること、です。たくさん表現したいというのはずっと思っていることで、とにかく色々作りたい!なぜ短歌なのか?のきっかけをつらつら書いていきます。以下鳥肌ものなので、薄目で読んでね。

生活を垣間見てもらう本

5月、本屋さんにゼミみんなで訪れました。各々気になった本を購入し、本の選び方に人が出ることがわかりました。その流れだったか、8ページで手軽に作れる、自分を表現した「8ページブン」をみんな制作しよう!ということで、それぞれ好きなように自分のことを表現する本を制作しました。

8ページブン「休日」

半年以上一緒に活動している先生と仲間に、どうしたら普段は隠れてしまっている自分らしさを伝えられるか?と考えました。私の怠慢な「休日」を描けば、自分の環世界を共有できる!と思い立ち、休日がテーマの8ページの歌集を制作。歌集という形にしたのは、プレゼミから少しずつ詠んでいた短歌ですが、短歌だと自分が見る世界や、密かに思っていることを何よりも鮮明に素直に描けると感じていたからです。

お気に入りページ。中身は歌と絵

雑にコピー用紙にサラサのボールペンで殴り書いた感じで、簡易的に制作。裏にインクが透けてチラ見できるの、イイねって言ってもらえて狙ってないけど嬉しかった…みんなそれぞれの個性が出る表現をしていて、定期的にやりたいくらい良かった。

ここでほぼ無意識下で意識的(?)に行なっていたのが、「崩す」です。
短歌は57577の定型がありますが、これまでいくつか歌集を読んできて、これはどこで区切るんだ?と短歌であることがわからないような短歌や、こんなに自由な言葉を並べていいの!?というような砕けた歌は読んでいて楽しく、強く惹かれる自分がいて、あえて短歌という型の範疇で崩すということを行いました。歌集でありつつ絵を添えており、文字とイラストの配置もかなり崩したレイアウトにしています。ページを捲っても新鮮な気持ちで読めるように、歌が浮かび上がらせる環世界が鮮明になるように意識しています。

「休日」は何も予定がないのんびりした私の休日を描いた本で、主にアパートの中での生活を自虐的に、でもどこか開き直っていて、満足のいく日を描いています。例えば、右ページの「クリスマスイブの反省活かされず 洗濯物が腹12分目」という歌は、自虐的に自分の生活の反省しつつも、改善する気がない歌の代表です。
去年のクリスマスイブ、遊びに行く直前に回していた洗濯機からぞろぞろ水が溢れてくる事件が勃発、狂う予定、下の階に浸水する恐怖…業者の方に見てもらうとパイプとかは全く問題なく、私が溜めすぎた洗濯物をぶち込んだせいだったという出来事があったにもかかわらず、今でもキャパを越して回してしまうという歌です。

開き直っているというのは、ゼミで共有して気づいたことです。完璧でない自分を許して愛している?これも「丁寧な生活」ではなく、崩すを無意識に好む理由かも(だらけているだけだ!)

崩すが好き?

崩すというのは、絵本の分析を行なったときにもかなり好んで、大切に思っていた気がします。

11ぴきのねことあほうどりを図解して分析したもの

私は小さい頃お気に入りだった馬場のぼる先生の11ぴきのねことあほうどりを分析しました。デザインの視点で改めてこの絵本を読んで驚いたのは、色がめちゃくちゃ自由!なことです。
テーブルの色がピンクだったのにページを捲るとオレンジになっていたり、主人公のねこ達でさえも紫から緑になったりと、ページによって色が自由に変わります。それでも読んでいて全く不自然さを感じません。色が楽しいから色を分析しようと図解しましたが、色の「崩す」が楽しいの理由だったのかも?馬場先生はリトグラフで絵本を制作されているそうで、限られた色数の中でねこ達の滑稽な日常を描きつつ常識を覆すような表現をしていて、すごい!自分もこれがしたい!と感動した気がします。

わたしの環世界

ごちゃごちゃ

話が逸れますが、「休日」で描いた私の部屋にある机周りです。汚い…などと自虐しながら、視界に入ると嬉しいお気に入りポストカードを壁に貼りまくり(画像の上にもうちょい広がってる)、近くにあると嬉しくなる本や物たちをおいていて、実はかなり気に入っています。「休日」を制作してから、当たり前ですが自分の部屋ってわたしの環世界そのものだ!と気づきます。

この崩れた生活と環世界を、8ページブンのように歌集にして、本だけでなく、歌を立体物や印刷物で表現したりなど、詠む・つくる・飾るを実践する制作をしていこうかなと思っています。飾るというのは具体的に、部屋の机みたいに、制作物をごちゃっと自分の感性で飾って展示して、環世界を共有したいとぼんやり計画しています。共有して何が起こるんだ…?自分のこと知ってもらいたいとか、痛い…??間に合う…???など不安もありつつ、やってみたいこと全部詰めで、やりたい!という気持ちが大きいので、とりあえずやってみます!

机の写真をゼミで共有したとき、ごちゃっとした部屋になってきたのはいつごろかというのが何かヒントになるかもとアドバイスをいただき、自分と今の状態の部屋の関係も頭の片隅で考えていきたい…



          🚶               🏁



以下はほぼ独り言なので読まなくて大丈夫ですが、歌集に挿絵ってありなのか?って思ってしまう…
歌集にデザイン表現を付加してやっていこうと思っている私がこんな気持ち、頭の隅っこに絶対にしまっておいた方がいいのですが、歌も絵も描く人もいるけど、大体歌人がいて、イラストレーターやグラフィックデザイナーがいて、でも歌人って自分の言葉で自分の見えている世界を表現するわけです。言葉以外の方法で、自分以外の誰かが自分の世界を表現するって、許せないというか、嫉妬心芽生えるというか、複雑じゃないのかな…芸術思考すぎる?歌人Aと作家Bのコラボ歌集!と明言して出版している本も何冊か見かけたことあるし、あんまりこう思う人はいないのかな、コラボと言えばあくまでそれぞれ別物で許せる的な風潮?それ以外の場合は歌人自身が歌の世界にぴったりフィットするようなお相手を見つけるんだろうか。

でも結局、絵とかついてる歌集、可愛くて好きだ…

今のアトリエの状態、良すぎる

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