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思索できることへの感謝

手術が終わってからのほぼ一週間は、痛みを抑える薬のために最初は朦朧としていて、そのあとも38度近い微熱で意識混濁した状態で過ごしていました。

その間、いろんなことを考えようとするのですが、数分考えるだけで夢と混じってしまいます。中には面白い夢もあって、夢の中の色んな人と対話できるのは「自分」が何者かを捉えなおすことができる気がするのですが、この話題は後実必ずまとめておきたいと思っています。

とにかくも、一週間は「ものすごく痛いわけではない」「ものすごく辛いわけではない」状態にうまく管理されたまま、ベッドの上で横たわっていたわけです。

考えることができないというのは奇妙です。
たとえば、「喉に痰が詰まって苦しい」という感覚に対して、痰を取らなきゃと吐き出そうとする動作と、苦しいので別のことを考えたいという思考がすぐに分離されます。
決まった動作は機械的に枕わきの箱ティッシュに手を伸ばして口から痰を吐き出すという、身体に染み込んだ動作パターンを実行するだけ。
一方、思考の方はいつもありえない方向にぶっ飛んでいきます。苦しい→楽しくなりたい→ふわふわい→宇宙に浮かんでいたい→空から落ちてグワーン→落下してどかーん みたいな夢を複数パラレルに展開していきます。頭の中がぐちゃぐちゃです。

それでも、1日のうちに何度かは頭がすっきりする時間帯があるのですが、この「すっきり」は頭がぐちゃぐちゃになってないことだなぁとわかるようになります。その「すっきり」したタイミングであれこれ思索をまとめたりするわけですが、きちんと考えることができることの素晴らしさ。

感謝。

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