強者の理論:鬼に金棒
私の指導教員は「それは強者の理論じゃない?」とよく言う。
強者の理論。
オーバーな喩だが、科挙みたいなものだろうか。
TVでよくみるような成功した人が「努力は報われる」と言うのがまさに、強者の理論だろう。
そう。その人にとって、努力は報われたのである。過去のつらい経験を乗り越えて、苦しいときもくじけず、あきらめずに頑張ったから成功したのである。
その通りだ。なにも間違っていない。努力は報われているのだから。
強者の理論が怖いのは、そうした理論(ここではあえて理論と書くが、実際には理論というほどでもない言説やアドバイスなども含めて)を、当然のように他者に振りかざしてくる。
鬼が金棒をもって殴りかかってくるようなものだ。
言われる者からすれば、鬼(強者)がどんな苦労をしてようが、どんな背景を持っていようが、その金棒(理論)の暴力性が変わることはない。
「努力は報われる」と言っている人は、そこを目指してどれほど多くの人たちが悩み、苦しみ、追い込まれているのかを彼らは考えていない。
「努力は報われる」のは一部の人に過ぎないのである。
生まれ持った才能、生きていけるだけの経済性、頑張ることのできるだけの精神的支援、目指すことができる夢を持てること、これらはなにもすべての人に等しく与えられるものではない。
ハインリッヒの法則というものがある。
これは、1件の重大事故(重傷を伴う事故)に対して、29件の軽傷を伴う事故、300件のヒヤリハット(一歩間違えれば事故につながる出来事)があるというものである。
製造現場などではヒヤリハットを減少することによって、重大事故を防ぐことができるとして、ハインリッヒの法則が叫ばれているのである。
重大事故が起きた時、その原因に対処するだけでは、重大事故はまたいずれ起きるのである。
強者の理論も同様ではないだろうか。強者(成功した人)の言葉に耳を傾け、それを信じることでは何も成果はでない。
強者になれなかった人たちに目を向ける必要があろう。
なぜあきらめなければいけなかったのか。
なぜ努力できなかったのか。
なぜ。
強者の理論は暴力的だ。
私はそう思う。でも、私も誰かから見れば強者であることに変わりはない。
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