「お金がない」は何を意味するのか
「こんどの日曜日ディズニーランドいかない?」
「いまお金ないからごめん。」
お金がないという理由で何等かの誘いを断ることは不思議なことではない。
実際私もそういう言い回しをすることだってある。
「お金がない」という理由で何かの誘いを断ることは何を意味するのか。
思うに、それは追求の回避ではないだろうか。
すなわち、お金がなければ一緒に出かけたとしても遊べないし、楽しめない。そして、その原因(=お金がないこと)を克服することは容易ではない。
これは、(虚言として)人助けを理由に遅刻することや、(実際にはない)忌引きを理由に休むことと似ている。
理由としてのこれらは、それ以上の追求を許さないのである。
人助けは(おおよそほとんどんの人にとって)無条件に善い行いとして認められ、それは正当な理由になり得ると判断されるからである。
忌引きは(おおよそほとんどの事柄よりも)優先されることであり、その論理は普遍的であるからだ。
仮にこれらの理由を受け入れないとしよう(上司などの立場だとして)。その場合、その論理は自分にも牙をむくのである。
だから、追求を許さない理由として正当化され得るのである。
話を戻そう。「お金がない」である。
他人(友人だとしても)にお金を恵むことは、それほど普遍的な行為ではない。人はお金のために(だけではないが)働き、使えば当然お金は減るのである。
だから、「お金がない」という理由はそれ以上の追求が許されないのである。そして、その効力はすさまじいのだ。
さて、具体的に考えてみたい。
冒頭のようにディズニーランドに誘われたとき、お金がないことを理由として断ったとする。
お金がないことを理由とすればそれ以上の追求はないため、この話はなかったことになる。
この場合、「本当にお金がない」こともあるが、そうとも限らないだろう。
すなわち、「ディズニーランドに行くだけのお金はあるけど、お金がないことを理由に断る」場合だ。
私が仮にそのような状況であったとき、考えているのは次のようなことだ。
すなわち、「お金はあるし、ディズニーランドにはいきたいけど、あなたと行くことに対してそれだけの金額を払う妥当性を見出せないから、お金がないという理由で断り、それ以上の追求を逃れる」ということである。
歪んでいる。間違いない、ひねくれ者である。
「お金がない」というのは、まったく便利な言葉である。
もっとも、そんなことばかり言っていると誰からも何にも誘われなくなるので気お付けたい。自戒を込めて。
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