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斎場御嶽で考える観光資源のあり方(沖縄旅 vol.3)

「神聖な感じがする」という、薄っぺらい理由で斎場御嶽は行ってみたい場所の1つだった。実際に斎場御嶽はとても神聖だったが、「聖地を観光地にすること」を考えるきっかけにもなった。

琉球王朝の時代から信仰される聖地

御嶽(うたき)は、沖縄でそこかしこに存在する。神さまが存在する、あるいは来訪する場所だといわれる聖域で、神社仏閣のように形づくられたものではなく、岩や山、あるいは久高島のように島ごと「御嶽」となることもある。

斎場御嶽から望む久高島

斎場御嶽は琉球王朝時代に王妃が就任するときの儀式が執り行われる場所だった。男子禁制で、儀式の期間は王妃とノロ(祭司)のみ入ることができた。

斎場御嶽の最深部・三庫理(さんぐぅい)は、岩と岩に隙間があり、その先には人が座れる空間がある。ここで儀式を行っていたのだそう。ちなみに2023年時点では三庫理に入ることはできない(落石の可能性があるため)

三庫理の入り口となっている岩は10mほどの長さで、高さは3mくらい。岩というより小山のようだった。その端のほうで突き出た岩があり、そこから水が滴り落ちている。

気になったので、そばにいたボランティアガイドのおじぃに聞いてみると、この岩は海と繋がっていて、水は海から1ヶ月かけて運ばれているのだという。さらには台風の後には岩にウミムシが出るという。

なんでも、沖縄南部は全体が珊瑚系の土だから水の周りが早く、石灰岩の北部とは植生も違うのだそう。たとえば南部にはないマツが、北部では見られたりする。斎場御嶽は全体的に植物がうっそうと茂り、南部の植生を楽しむこともできた。

御嶽だけに集中するオーバーツーリズム

第二次世界大戦のときも攻撃されなかった斎場御嶽。沖縄南部は特に激戦地で壊滅的な攻撃を受けたのだが、斎場御嶽は一部に砲弾の後が残っただけ。アメリカ軍も「ここでは血を流していけない」と考えたのだろうか……

斎場御嶽は素晴らしい場所だった。しかし、琉球神話を現地の人々と同じように信仰できないよそ者の私にとって、「神聖な気がする」という感想を持つほかなかった。

一方で斎場御嶽は観光地として、平日でも多くの人がひっきりなしに訪れていた。入場前に必ず見なければいけないビデオでは、斎場御嶽内のものを盗ったり、祈祷している地元の方々の邪魔をしたりしないように注意を促していた。これまでこういった行為をした人々がいた、ということだ。また、観光客の増加によって石畳がすり減るなどの問題もあるという。

その一方で斎場御嶽の周辺には道の駅以外にはお金を落とす場所もなければ観光できる場所もほとんどない。ゆえに那覇から斎場御嶽へ行き、大してお金も使わずに帰る、という観光客がほとんどなんじゃないか。オーバーツーリズムが御嶽のエリアだけに起こっていると感じた。(そして微々たる入場料で、斎場御嶽の保全を賄うほどの収益があるのか疑問だ)

観光地は作り出せるはず

斎場御嶽に限らず、神聖な場所が観光地化することは多々ある。日本なら伊勢神宮や出雲大社などがあるが、それぞれ周辺でもある程度、お金を落としたり1泊して楽しめたりできる。

実は斎場御嶽の周辺でも、もっとお金を落としてもらえる可能性はあると感じた。たとえば斎場御嶽から歩いて15分ほどの場所にある「南城美術館」。ミロやダリ、ピカソなどを趣のある長屋でゆったり楽しめるなかなか面白い美術館。現代アーティストが滞在して作品制作をする様子を見たり、彼らの作品も楽しめたりできる。

南城美術館の一角
バスルームで鏡越しのダリ。
こんな風に展示されるとは、ダリも想像しなかったことだろう……

美術館の近くにはイタリアンレストランもあるので、ここで半日は楽しめる。でも私が訪問したとき、他には誰もいなかった。世界のすごいアート作品はゆっくり楽しめたから良かったけど、もったいない。

美術館と斎場御嶽をセットに観光してもらえるように売り出す。さらにはアートを目的とした観光客を増やす。そんなふうに新たな観光地を作り出せたら、斎場御嶽は本来の「神聖さ」を守られるのではないだろうか……

薄っぺらい理由で斎場御嶽を観光した私だけれど、こんな妄想もしてみたのでした。

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