AIと感情の話

皆様こんばんは
いかがお過ごしでしょうか。
最近ついに緊急事態宣言が解除されましたね。

とはいえ、当分はさすがに様子見というか気は抜けないですね。九州のほうでまた感染が起きたりしているので。
ですが、緊急事態宣言が解除されただけでも個人的にはほっとしています。
なかなか気持ち的に落ち着けないですよね。

最近は私ものんびり過ごしていますが、週末で本を5冊ほど読んでいました。
もともと本読むこと自体非常に好きで、苦にならないんですよね。
文章読むのも書くのも好きです。それこそ、朝4時まで読んでいました。

また機会があれば本の紹介もしましょうか。
個人的には本の紹介ってとてもしたいんですよね。やはり、自分のおすすめについて語りたいですし、皆さんにも楽しんでもらいたいので。
でもネタバレやらなんやらもできるだけしたくないんですよね。
本っていうか作品というのは非常に繊細なもので、0から読むのと少し知ってから読むのでは感じ方が違ったりしてしまいますので。


さて、雑談が過ぎましたが、今回の本題に入ろうと思います。
今回のテーマは「AIと感情」です。
皆さん感情を当然ながら大なり小なり持っていると思います。
それってAIにはまだ実装されていないとされていますよね。

そういった感情について、経済学とかから話していこうかと思います。
ちなみにですが、人工知能に関しては基本門外漢なんで間違い等あるかもしれません。もちろんないようにしていますが。
もし御職討があった時はご容赦ください。ついでにコメント等で優しく指摘していただけると幸いです。


さて、何から話すかといういつもの問題に差し掛かっておりますが、まず人工知能には二種類あるってご存じですか?
私は初めは知りませんでした。

昔に調べた内容なんで、少し間違っているかもしれませんが、大きく、計算を主に行う人工知能と人間のように対話を行う人工知能の大きく二つに分類することができます。

今回の話では後者の対話を行う人工知能について話していこうと思います。さすがに計算をメインとしている人工知能に感情も何もないと思いますので。
というか、私が一番人工知能に興味を持ったのが大学二年生の夏でしたが、当時は二つに分けることができることを知りませんでしたね。

そういう対話型の人工知能も日進月歩進化を続けていますよね。それも劇的に。
しかし、現状の人工知能ではまだまだ感情を表現することはできないと思います。というか感情を実装するべきではないと思います。お互いのために。

ですが、その感情とはどのように定義できるのでしょうかということが一番のテーマです。

皆さんはどのように定義することが感情という非常に抽象的なものを的確に表現できると思いますか?

本当に難しい問題ですよね。例えば、私たちは生きている中でうれしいや悲しい、などの感情を感じることはあると思います。しかし、感情全体を表現することは非常に難しいですよね。私もあまり自信はありません。

有名なデジタルカードゲームにshadowverseってありますよね。
私は基本的にcygamesのゲームは割とやっていて、shadowverseもすこしやっています。

このゲームって色々有名で、皆様の中で知っている方もいるかと思います。例えば、e-sportsとしてプロリーグをやっていることも有名ですし、世界大会では賞金1億円なんてのもあります。
それ以外にもゲーム性でたびたび問題に上がることもありますし、最近ではアニメを放送していたり任天堂switchでのゲームソフトの発表もありましたよね。

cygamesのゲーム、特にグラブル等は非常にメディアミックスがうまいですよね。
昔、ソーシャルゲームの流星の頃のパズドラやモンストもありましたがそのビッグタイトル二つの明暗を分けた一つの要因もメディアミックスの差なのかなと思います。
モンストはリアルイベントとしてエクパを開いたり、オーケストラ、映画など非常に様々なものに手を広げる先駆者だったと認識しています。

その後、グラブル等もそういうことに手を出していて、オーケストラやグラブルフェス、アニメや書籍などなどいろいろな部分で手を出しています。
個人的には次は映画をやってほしいなと感じています。
こういったことを行うことのメリットは非常に多く存在していますが、認知度を上げることやコンテンツの充実、ゲームの実体化などでしょうか。

相変わらず超絶話がそれてしまいました。
話がそれたついでに話しますが、話がそれるというのは基本的にはいいことだと思っているんですよね。特にこういったブログというか気軽な読み物の中では。
やはり、知識を広げるには一つのことから派生するほうが覚えやすいというか面白いかなと感じています。
記憶の引き出しを関連付けるというイメージでしょうか。
私はこれを学生時代に非常に感じました。特に英単語の勉強で。

話をさすがに戻しましょう。shadowverseは基本的にデジタルカードゲームです。しかし、そのゲームの中にストーリーモードがあります。これまた私は好きなんですよね。

ストーリーモードは基本的に一本の物語なのですが、キャラクター七人のそれぞれの視点で描かれているんですよね。その点がまず非常に好きな点です。ちなみに、このような形式の物語で有名なものに蜜蜂と遠雷があります。興味があれば読んでみてください。おすすめです。

そのストーリーの一遍で機械の話があります。ある世界は人間と機械が共存している世界でした。その中で、機械を製造している人間に機械が虐げられていました。人間が機械を製造している中で感情を持つ個体が発生しました。それで反乱を起こすという話です。やっと本筋と繋がりましたね。

その物語の中で、機械に宿った感情というものはバグだと表現されていました。それは私としては非常に納得のいくものでした。

機械というのは基本的にコーディングをしたプログラム等で動きますが、基本的に関数のようなもので支配されています。

もう少しかみ砕いて言うと、リンゴというとappleと返答が来るであったり、そばを注文するとそばが出てくるといったことでしょうか。

そのように、一個のきっかけから決まった一個の答えを出すというのが基本的な機械なのかなと思います。そして、それが人間と機械の大きな違いなのかなと思います。

ここから少し経済学の話に移ります。
今回は内容を割愛しながら進めていきますが、経済学というのは基本的に人間の行動の研究を行う学問でした。

経済学の源流であるミクロ経済学とは基本的に人間を研究することを行っていました。ですので、イメージする経済とは異なるものも多々あります。
そんなミクロ経済学ですが、人間を研究するということで一般的な個体を決める必要があるとなりました。

その時に決められたのが合理的経済人です。合理的経済人とは基本的に紅葉が一番高いように行動をする、一番幸せになるように行動するとされた主体のことです。この上で経済学は基本成り立っています。

これに関しては問題点が多々あることは事実です。例えば、ここで定義した合理的経済人とは現実に即したものなのか?って話とかです。ちなみに、より現実に即した人間の行動を研究する学問として経済心理学や行動経済学が存在します。特に行動経済学は非常にホットな話題ではありますよね。

そろそろ話を戻しますが、今話をした合理的経済人の行動と実際の人間の行動は異なってしまうということがミソです。
ここが機械と人間の違いであり、感情のあるなしの違いなのかなと思っています。

もう少し表現を変えると、効率的な行動からの違いが感情の表れであるといえるのではないかと思っています。

例えば食事の話をします。
人間が活動するには基本的にはカロリーが必要です。っそしって、人間が必要とするカロリーは一般に定義されています。しかし、それ以上に取る人間がほとんどです。

その行動には様々な理由があると思います。たとえば、カロリーを気にしていないであったり、カロリーをもっと取りたいという気持ちもあったり。様々な原因があると思いますが、それは結局感情によって引き起こされているといえると思います。

このように、一番効率的な行動からの差に対して感情というものが影響していると思います。
だからこそ、shadowverseの中でバグと表現されていたことに関して非常に肯定的なんです。
与えられたことを作業をできない機械は欠陥品ですからね。

そういう意味では人間は生まれながらにして欠陥を抱えて生きているとも言えますよね。
その効率からの差自体が人生の面白さ、豊かさに直結しているとも言えますが。

よく、趣味は無駄なんて話を言われたりします。私としてある程度の納得はしますが、結局その無駄を甘受することが人間らしくあることの証明だとも思いますけどね。

けれど、私を含め人間生きている間に自分の感情について深く考えな上がら生きることはないですよね。しかし、相手の感情を考える際には結局その対象の人の行動を観察すると思います。

そのさいに注意するのはいつもと違う行動をしているかどうか、つまり、対象にとっての普通の行動との差異を観察すると思います。
このように、効率的な行動、一般的な行動からの差が感情なんだと思います。

では、AIに感情を持たせるのはどうすればいいのかという話ですよね。
それも理想的には答えは簡単だと思います。先ほどの話と同様で、行動に幅を持たせるだけでいいんだと思います。

つまり、AIに行動の裁量を与えるということです。
このように簡単に言葉にはできますが、それはおそらく非常に難しいことなんだと思います。
ニューラルネットワークなど様々な技術が誕生していますが、おそらくこの面がクリアできていないからまだまだなんだと思います。

これで感情の話は終わりなんですけど、最後にこれだけはしたかった話があります。
それは人間とAIっていうのは本質的には同じものであるということです。

AIっていうのは基本的に、まず大量のデータを取り込みます。
そしてそれから導き出されるデータから行動を起こします。
最後に結果てきに将来に影響を与えます。

この構図っていうのは基本的には人間と同じですよね。
人間というものは今までに経験してきた過去から学びます。
それから現在直面しているいろいろなものに対して行動します。
そして結果的に将来に影響を与えます。

このように、人間とAIは基本的に行っていること自体は同じなんですよね。
違う点というと結局感情があるかないかという話だけなんだと思います。行動に関しては。

それ以外のものは様々あります。例えば、肉体や頭脳等々存在しますが、すべて人間のほうが劣っているといえますよね。
人間はテロメアの関係で生きれるのは130歳程度までと決められていますがAIはパーツを交換すれば永遠です。
頭脳に関しても人間は頭打ちですがAIは日進月歩進化しています。45年にはシンギュラリティが来るなんて話もありますし。

そういう意味で言うならば、人間が今の地位にいるためには感情は必須なんだろうと思います。

私が昔やったゲームの中でこういう面白い話があったんです。
天才科学者が対話相手として自分をコピーしたAIを作成したんです。最初はそれでうまく回っていたんですが、ある時にAIはAIのほうが上位種だと気づいてしまうという話です。
結果としては人間の可能性を信じてAIはオリジナルの排除はやめたんですけれどね。

実際問題として、人間とAIを比較するとそうなってしまうのは仕方ないことだと思っています。だからこそ現在の使用者被使用者の関係を壊してしまうと大変なことが起きるなと感じています。だからこそ肉体を持たすことは危険なんですよね。

何がいいたいかというと、実は人間もAIも同じことをしているということです。まあ、読んで字のごとく人工知能ですから当然ですけど。


今回の話は以上です。

超絶余談を挟んでしまいましたが、言いたかったことは、感情とは効率的な行動との差である。AIと人間は本質的には同じ。AIは完成したら人間の上位種。

この三点でした。

次回は何にするかは決めてませんが、たまには経済学もいいかなと思ったりしています。

それでは


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