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河内貯水池の物語

以前から伺いたかった白山神社。
河内貯水池の近く、小高い山の上にあります。

白山宮の鳥居をくぐり、階段を登っていくと、沼田泰子さんの記念碑。
(以下情報は関連Webを参照)

沼田泰子さんは、河内貯水池の工事をされた沼田尚徳さんのご夫人。
泰子さんは、工事の期間、自分で作ったおすしやおはぎなどを持ち、高見の社宅からバスに乗ってたびたび河内を訪れ、働いている人たちに届けたそうです。

しかし、泰子さんは、完成を見ることなく、昭和3年(1928年)、病のため40才の若さで亡くなられました。
泰子さんは、病の床に伏し、高い熱にうなされながら「河内に行きたい。河内に行きたい。」と何度もおっしゃったそうです。

泰子さんは、こ主人がとても大事な工事に取り組んでおられるということをわかっておられ、ぐち一つこぼさず主人のためにつくされたそうです。
また、沼田さんも奥さんの気持ちをとてもよくわかっておられ、感謝されておられたそうです。

愛する奥さんを亡くされた沼田さんは、次のような文章と詩を残されました。

(訳)わたしは,以前,河内の水道工事のために働きました。
工事はおおかた十年かかりましたが,幸いにも完成させることができました。
完成させることができたのは,神様のお力添えがあったことは言うまでもありません。
しかし、わたしの妻の助けによるところも非常に大きいものでした。
残念なことに天は妻に年を与えてくださらず,妻は工事が終わりかけようとしているときに病気で急に亡くなりました。
わたしは、よく協力してくれた妻の気持ちを哀れみ,死を悲しんで五言絶句の詩を作りました。

北九州市立 河内小学校ウェブサイト

わたしが愛した妻の魂は,今どこをさまよっているのであろうか。
心のやさしかった妻とは,あの世とこの世に別れて住んでいる。
妻と楽しく過ごした日のことが,遠い昔のこととなってしまった。
桜の花が散る前にたたずんでなき妻のことを思うと,胸がはりさけるような気持ちになる。

北九州市立 河内小学校ウェブサイト

世界的にも、自らの妻への愛惜の碑文は珍しく、感動したアメリカ人が、英語版も作ったそうです。

八幡製鉄所を支える「水」を確保するために命を削って工事を進めた沼田尚徳さん。そしてそれを支えた泰子さん。
河内を訪れ、この物語を思い起こす度に、胸が熱くなります。


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